著者:仲正 昌樹
販売元:作品社
(2012-08-09)
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★★★☆☆
著者もいうように、丸山は日本の戦後でもっとも重要な思想家である。しかし彼は一般には「戦後民主主義」とともに終わった人と思われており、彼についての研究や論評もそういう面に片寄っている。本書も『日本の思想』をテキストにしたものだが、岩波新書1冊を解説しただけで「丸山を熟読する」と称するのは羊頭狗肉である。
著者が「丸山の思想」として論じているのは彼のいう「夜店」の部分だけで、もう賞味期限は尽きている。いま読んでおもしろいのは、田中久文『丸山眞男を読みなおす』が論じている「本店」の部分だが、本書はほとんどそれに言及していない。特に重要なのは丸山の死後に刊行された講義録だが、著者はそれを読んだ形跡もない。
丸山は70年代以降、健康を害してまとまった論文や著作は少なく、『忠誠と反逆』に収められた論文でその思索を推測するしかなかったが、講義録を読むと彼のテーマが60年代から一貫していたことがわかる。それは彼が「原型」や「古層」と呼ぶ日本人のローカルな共同体意識と、それに対して出てくる普遍的な主体性の相克である。
「非武装中立」の教祖だった丸山が、講義録では意外にも武士のエートスを高く評価し、戦闘する個人の道理の観念を重視する。それは貞永式目ではコモンローに近い形をとったが、江戸時代に法秩序が分断されたまま固定されたため、武士のエートスは「凍結」されてしまった。それが開国で一挙に「解凍」されたとき日本が輸入したのは、伝統的に蓄積された慣習法とは無縁の大陸法だった。結果的には法の支配も議会政治も身につかないまま、日本は戦争に突入してゆく。
このように「自生的秩序」が未熟なまま、近代政治の表面的な制度だけを輸入したことが、日本の政治の混乱の原因になっている。それを乗り超える近代的な自発的結社として丸山が期待した労働組合は、結果の平等を求めるローカルな共同体に堕落してしまい、彼が協力した「構造改革」(トリアッティ型社会主義)のなれの果てが菅直人氏だ。
晩年の丸山は「高度成長を予想できなかった」と嘆いていたという。自発的結社なしには機能しないはずの資本主義が、「古層」の影響を残す自民党政権と村落共同体型の企業によって実現したことは、彼にとって最大の謎だった。晩年の彼は、政治・経済についてまったく語らなくなる。
しかし丸山の謎は、新たな形でわれわれに突きつけられている。主体性や自発的結社なしの「近道」を通って近代化をなしとげたようにみえる日本が、いま直面している限界は、やはり丸山が正しかったことを示唆しているのかも知れない。本書は主体性が近代的なフィクションであることをフーコーなどを引き合いに出して論じているが、丸山論としては成立していない。