崩壊した「正義の独占」 - 『検察: 破綻した捜査モデル』

池田 信夫

検察: 破綻した捜査モデル (新潮新書)
著者:村山 治
販売元:新潮社
(2012-08-14)
販売元:Amazon.co.jp
★★★★☆


かつては政治腐敗を暴く正義の味方として頼りにされた検察も、最近はさんざんだ。大阪地検のフロッピーディスク改竄事件や小沢事件で捜査報告書を偽造するなど、不祥事が相次いでいる。著者は朝日新聞の検察キャップを長くつとめ、「特捜とはギブアンドテイク」ともいわれる大物記者だ。

日本の検察は、司法機関というより行政機関の性格が強い。有罪率99%を誇る背景にも、警察や裁判所と一体になった「精密司法」がある。戦前は裁判所と検察は司法省の中で一体だった。GHQはこの制度を地方検事が選挙で選ばれる英米型の制度に変えようとしたが、検察が抵抗した結果、検察審査会が生まれた。その後、公安事件で検察と裁判所の協力が強化され、戦前と同じ行政的な体質が続いてきた。

そういう「正義の独占」が崩れ始めたきっかけが、2002年に大阪高検の部長が逮捕された三井環事件である。これは検察の調査活動費が幹部の遊興費に流用されていた事実を三井氏が摘発しようとしたのに対して、検察が「口封じ」を行なったものだった。裁判所も調活費の不正使用は認めたが、三井氏は有罪になる一方、調活費を私的に流用したと実名で告発された幹部の責任は問われなかった。

よくいわれる「検察リーク」などの記者クラブ批判は的はずれだ、と著者はいう。検事への夜討ち朝駆けは個人の競争であり、クラブに加盟したら検事がリークしてくれるなどという甘いものではない。クラブはむしろ無能な記者や弱小メディアを守る制度で、廃止しても大手メディアは困らない。ただ捜査に着手する前にそれを報道する「前打ち」は、捜査妨害になるばかりでなく、「起訴=有罪」という正義の独占を前提とした無意味な競争だと著者は批判する。

かつては経済的な正義は護送船団行政で大蔵省が守ったが、その正義の独占も崩れ、検察が経済事件に介入するようになった。ライブドア事件などで見当違いな捜査が批判を浴びたが、これは検察官の能力というより日本の刑事法規が経済事件に適していないことに問題があるという。社会の多様化で行政による正義の独占が崩れてきたが、日本の法秩序は圧倒的に行政中心なので、いろいろなひずみが出ているのだろう。