支離滅裂な「革新的エネルギー・環境戦略」

アゴラ編集部


   池田 信夫
   アゴラ研究所所長

   (GEPR版

政府のエネルギー・環境会議による「革新的エネルギー・環境戦略」(以下では「戦略」)が、9月18日に閣議決定される。通常はこれに従って関連法案が国会に提出され、新しい政策ができるのだが、今回は民主党政権が残り少なくなっているため、これがどの程度、法案として実現するのかはわからない。2030年代までのエネルギー政策という長期の問題を1年足らずの議論で、政権末期に駆け込みで決めるのも不可解だ。


しかも詳細に読んでみると、売り物の「原発ゼロ」は約束しておらず、他方で核燃料サイクルを続けるなど、内容は矛盾だらけである。この背景には、党内のいろいろな勢力の圧力や官庁との妥協があったようだが、全体としては何をしようとしているのかわからない。ここでは、この「戦略」を概観して民主党政権の支離滅裂なエネルギー政策を検証し、民主党政権後のエネルギー政策を考える。

(参考・GEPR記事「30年代に原発ゼロ」を決めた「革新的エネルギー・環境戦略」の要旨

「原発ゼロ」は政策目標ではありえない

「戦略」はその目的をこう書いている。

震災前、私たちはエネルギー社会の在り方として「原子力」への依存度を高めることを柱として、安定供給の確保を目指し、地球温暖化問題の解決を模索してきた。しかし、今回の事故の深刻な現実を直視し、事故の教訓に深く学ぶことを通じて、政府は、これまで進めきた国家のエネルギー戦略を、白紙から見直すべきであると確信するに至った。

「今回の事故の深刻な現実」とは何だろうか。福島第一原発事故は、OECD諸国としては史上最大だが、放射能による死者は1人も出ていないし、今後も出ないだろうというのが多くの専門家の予測である。事故で避難した16万人がいまだに帰宅できないが、これは政府の間違った避難指示によるものだ。

Mullerは、福島事故について「多くの人々が考えているほど破局的な事故ではなく、エネルギー政策を大きく変更するものではない」と明言し、IAEAなど多くの専門家も福島事故の被害は予想をはるかに下回るもので、原発の相対的な安全性を示すものと評価している。要するに今回の事故は「国家のエネルギー戦略を白紙から見直す」ほど重大なものではないのだ。

多くの国際機関などが示しているように、原発は火力発電に比べると環境負荷が小さく、健康被害も最低である。次の表のようにEU委員会の調査によれば、原子力の外部コスト(大気汚染や採掘事故など)は0.25ユーロセント/kWhと、石炭(2.55ユーロセント)やガス(1.12ユーロセント)よりはるかに低い。

この外部コストには、大気汚染や採掘事故などの健康被害の他に地球温暖化のリスクも含まれている。事故の賠償などのコストは含まれていないが、IAEA基準で10万炉年に1度とすると、kWhあたりのコストは軽微である。しかし原発の安全基準は厳格化される一方なので資本コストが高く、天然ガスの価格が下がっている今日では採算が合わない。

したがって正しい目標設定は「直接コストの低い化石燃料と社会的コストの低い原子力をどう組み合わせればエネルギーの社会的コストが最小化されるか」という問題として定式化できる。エネルギーのコストには不確定要因が大きいので、これは確率的な条件つき最小化問題になる。これを解いて最適なエネルギー比率を決めるのは、市場であって政府ではない。

曖昧な「原発稼働ゼロ」と核燃料サイクルの整合性

「戦略」では第一の柱として「原発に依存しない社会の一日も早い実現」を掲げているが、なぜ特定のエネルギー源をわざわざゼロにして日本の選択肢をせばめることに「あらゆる政策資源を投入する」のか、理解に苦しむ。「2030年代に原発稼働ゼロを可能とする」と書いているのは一見「原発ゼロ」を約束したようにみえるが、「稼働ゼロを可能とする」という言葉が曲者だ。

政府のIT戦略本部は2001年の「e-Japan戦略」で「5年以内に3000万世帯が高速インターネットでアクセス網に、また1000万世帯が超高速インターネットアクセス網に常時接続可能な環境を整備する」という数値目標を掲げた。2005年末のブロードバンド普及率はいずれも目標に達しなかったが、政府は「光ファイバー網は90%以上の世帯で接続可能なので、目標は達成された」と評価した。

同じ論理でいけば、2039年までに原発を止めようと思えば止められるようにしておけばよい。今のまま原発を新設しなければ、2030年には原発比率は15%ぐらいになるが、それでも「稼働ゼロ」にしようと思えばできるから、この目標とは矛盾しない。つまりこれは抜け穴だらけで、目標として意味をなしていないのだ。

第二の柱として「グリーンエネルギー革命」をあげ、水力を除く再生可能エネルギーを2010年の250億kWhから2030年までに1900億kWh(8倍)にするという空想的な目標を掲げている。これは原発の3000億kWhの6割以上を代替するようにみえるが、太陽光や風力は雨の日や風のない日には使えないので、そのバックアップとして火力が必要になる。要するに、再生可能エネルギーは原発の代わりにはならないのだ。

他方、太陽光発電の固定価格買い取り制度で42円/kWhという世界一高い買い取り価格が設定されたが、そのコストはすべて利用者に転嫁される。その結果、原発をゼロにすると2030年には電気代は2倍ぐらいになるというのが政府の試算である。

第三の柱として「エネルギーの安定供給」があげられ、「原発のコストは、社会的コストを含めれば、従来考えられていたように割安ではない」と書かれているが、これは逆である。EU委員会などが示しているように、原発は直接コストは高いが外部コストは低い電源なのだが、民主党は問題を逆に見ているので、出てくる政策は支離滅裂なものになってしまう。

「戦略」では「原発に依存しない社会の実現に向けた5つの政策」をあげているが、中でも最大の問題は核燃料サイクルである。原発をゼロにするなら、その燃料をつくる再処理施設も不要になるはずだが、政府は「核燃料サイクルは中長期的にぶれずに推進する」という。

他方、高速増殖炉の原型炉「もんじゅ」については「研究を終了する」と明記し、実用炉の建設も行なわない。核燃料サイクルを推進して生成したプルトニウムは、何に使うのだろうか。これについて「戦略」は何も書いていない。「直接処分の研究に着手する」と書いてあることからみると、実質的に再処理は放棄する方針と考えられるが、それを明記すると青森県との約束違反になるので、曖昧な記述になっているのだ。

さらに奇妙なのは、地球温暖化対策である。鳩山元首相は「2020年に温室効果ガスの排出量を1990年比で25%削減する」という国際公約をしたが、「戦略」では「2020年時点の温室効果ガス排出量は、原発の稼働が確実なものではないことからある程度の幅で検討せざるをえないが、一定の前提をおいて計算すると、5~9%削減(1990年比)となる」と、公約が守れないことを認めている。

選挙目当てのポピュリズム

このように「戦略」の内容は支離滅裂で、肝心の「原発ゼロ」を実現する約束もしていない。これが決定された翌日には、青森県の大間原発と島根原発3号機について枝野経産相が建設の継続を容認した。この「戦略」に書かれているように40年で廃炉にするとすれば、これらの原発は2050年まで運転されることになる。2030年で廃炉にしたら、原子炉の建設費は回収できず、政府は巨額の賠償を迫られるだろう。

そもそも民主党政権が根本的に間違えているのは、政策の優先順位である。今すぐやるべきなのは20年後の「原発比率」を決めることではなく、法的根拠なく止めたままの原発を再稼働し、16万人の被災者を帰宅させるために放射線の線量基準を見直すことだ。

長期的なエネルギー政策でも、考えるべきなのは特定のエネルギー源をゼロにするかどうかではなく、エネルギーの外部コストを適切に内部化して市場で最適のエネルギーが選ばれるような制度設計だ。特に重要なのは化石燃料の価格安定で、原子力はそのための交渉材料としても重要だ。「原発比率」は競争の結果として決まるもので、政府がそれを決めるのは統制経済である。

今回の「戦略」は古川元久国家戦略担当相が「政治主導」と称して経済産業省を排除してつくったものといわれるが、結果としては官僚の作文以下の大学生のレポートのようなものになってしまった。ただ次の政権は「原発ゼロ」を否定している自由民主党が中心になると思われるので、幸いこの「戦略」が実行されることはなさそうだ。

したがってこの「戦略」はエネルギー政策としては意味がないが、マニフェストが全滅した民主党が次の総選挙で掲げる大衆迎合のスローガンとしては役に立つだろう。政権末期にかけこみで決めたのも、民主党が次の総選挙で「原発ゼロ」を目玉にするためだと言われてもしょうがない。民主党に政権担当能力がないことはこの3年で十分わかったが、選挙対策だけは抜け目がないようだ。