原発はなぜ止まっているのか

池田 信夫

きのうの記事について、橋下市長からコメントをいただいたので、お答えしておく。

現行法に原発を止める規定がないから止めるのはおかしいという論調。法の支配論は、現行法規の上位規範を探ろうと言う考え。ティッシュ1枚を盗んで死刑という規定があるとする。池田氏は、それにも従えと言う論。しかしそれはいくらなんでもおかしいでしょと考えるのが法の支配。自然法の追求。


私は「現行法に原発を止める規定がない」とは言っていない。電気事業法第40条のみならず、原子炉等規制法第33条にも「主務大臣は、原子炉設置者が次の各号のいずれかに該当するときは、原子炉の運転の停止を命ずることができる」という規定がある。問題は、今回の事態がその各号のいずれにも該当しないことなのだ。法的根拠なく民間企業の設備の運転を止めるのは、法の支配以前の単純な違法行為である。

もちろん役所はそういう批判を承知しているので、「原発を止めろ」という命令は出していない。浜岡の場合も首相が「要請」しただけで、中部電力が自発的に止めたという形になっている。定期検査も、形式的には検査が完了していないという状態になっている。経産省が電力会社にストレステストの実施を「要請」したものの、その結果についての報告書を(大飯3・4号機以外は)審査しないからだ。

では、そのストレステストの法的根拠は何だろうか。驚いたことに、法律どころか政令も省令も閣議決定もないのだ。あるのは「我が国原子力発電所の安全性の確認について」という3大臣名の文書だけで、それに合格しなければ動かしてはいけないとも書かれていない。全国の原発が止まっている根拠は、この公印もないメモだけなのだ。

それでも電力会社はストレステストを実施し、31のプラントで第一次評価報告書を保安院に提出した。しかし保安院はそのうち大飯3・4号機と伊方しか原子力安全委員会に送付せず、安全委員会はそのうち大飯だけを合格として4大臣に送付した。この結果、大飯だけが再稼働できたが、他の原発の報告書は店ざらしだ。

ストレステストはヨーロッパでは運転と並行して行なわれるシミュレーションであって、原発を止める理由にはならない。新しい基準ができるまでは、現在の基準で運転するのが当然だ。橋下氏は、建築基準法が改正されるときは、旧基準の家には住むなというのだろうか。

それでも「自然法的」に考えて、原発の現状が危険で、停止によって実質的な安全性が向上するならいいが、ほとんどの原発で福島事故を受けた津波対策などの緊急安全対策はすでに終わっており、ストレステストにも合格した。残るのは60項目の「自主的対策」だけで、このうち30項目はストレステストで実施され、残りは中長期的に時間をかけて改善することになっている。

原子力規制委員会が発足しても、技術的にできることは現在の安全対策に網羅されているので、規制委員会がやる作業はすでに実施された安全対策の法制化という役所内の手続きだけだ。つまりこれから1年近くかけて技術基準を作り直しても、安全性はほとんど変わらないのだ。

では、なぜ再稼働がずるずると延期されているのだろうか。前述のメモでは、政府も「これら発電所については従来以上に安全性の確認が行なわれている」と認めているが、運転することに「国民の十分な理解が得られない」という。要するに法的には動かせるが、マスコミがうるさいので電力会社が勝手に止めているという状態だ。したがって電力会社が出力を100%に上げる使用前検査を行ない、そのまま(問題がなければ)通常運転に入ることもできる(*)。

こんな曖昧な状態で、誰に責任があるのかもわからないまま1年半が過ぎ、保安院も安全委員会もなくなってしまった。原子力規制委員会の田中委員長は、「ストレステストは審査しない」と明言した。これまでの電力会社の努力はすべて振り出しに戻り、ゼロからやり直しである。このままでは、来年夏にも間に合わないおそれがある。

原発を止め続けると、3年後には4電力会社が債務超過になる。法的根拠なく政府が企業を経営破綻に追い込むことは、憲法第29条に定める財産権の侵害である。つまり原発の停止は手続き的に違法性が強いばかりではなく、安全性の向上にもならず、毎年3兆円の損害を日本経済に与えるだけなのだ。橋下氏はこれを「ティッシュ1枚を盗んだようなもの」と思っているのだろうか。

(*)細かくいうと、現在はこの使用前検査の前で止まっているので、電力会社が検査を申請して保安院がそれを受理すれば100%の出力で運転できる。保安院が受理を拒否すると運転できないが、法的根拠なく拒否はできない。