核武装というタブー - 『原発と原爆』

池田 信夫

原発と原爆 「日・米・英」核武装の暗闘 (文春新書)
著者:有馬哲夫
販売元:文藝春秋
(2012-08-20)
販売元:Amazon.co.jp
★★★☆☆


原子力については、エネルギーという「顕教」とは別に、核兵器という「密教」がある。本書もいうように、最初に原子力を導入した中曽根康弘も正力松太郎も、将来の核武装を視野に入れて原子力の「平和利用」を推進したのだ。しかしこれがタブーとされてきたため、JBpressにも書いたように民主党は問題を理解できず、幼稚な「原発ゼロ」政策をとなえて米政府の批判を浴びた。

これについて「原発の本当のねらいは核武装だ」という話がよくあるが、本書はこれを否定する。核武装が原子力推進派の念頭にあったことは間違いないが、被爆国の日本が核武装することは政治的に不可能に近く、それを目的に原発を建設したわけではない。しかし結果的に人類を全滅させることのできる44トンものプルトニウムが蓄積されたことは事実であり、「原発ゼロ」にしたらその用途が核兵器以外にないことも明らかだ。

核武装というと反射的に反対する人が多いが、著者は外交文書の分析から「アメリカや中国やロシアとの外交交渉において、この[核武装という]カードほど効き目のあるものは他にない」(p.225)と指摘し、「使うにせよ、使わないにせよ、カードは持っておく必要がある」という。特に中国の脅威が顕在化してきた今、日本が自力で防衛する兵器として核武装というオプションは残しておく必要があろう。

本書の引用する戦後の公文書から浮かび上がってくるのは、原子力は何よりも核戦略の一部だということだ。当初は日本に対する原子力技術の供与を渋っていたアメリカに対して、正力は1956年に「宣戦布告」し、イギリス製の原子炉でプルトニウムをつくると宣言した。アメリカはこれに譲歩して技術供与を行ない、日米原子力協定で核保有国ではない日本がプルトニウムを製造することを特別に認めた。

しかし核燃料サイクルが行き詰まって、この日米合意はあやしくなってきた。民主党はアメリカの圧力を受けて、高速増殖炉も再処理も継続する方針に変更したが、その成算があるわけではない。かといって日本が核武装することは、政治的には不可能に近い。これはエネルギー政策を超えた安全保障や日米同盟の問題として、真剣に考える必要がある。本書は歴史的なトリビアが多くてやや退屈だが、これまでタブーとされてきた核武装の問題を考える糸口にはなろう。