曲がり角に来た豊かな都市国家シンガポール

田村 耕太郎

リークワンユーは正しいか?―大器晩成を認めない国

現存する方のなかで私が最も尊敬している人物は、シンガポールの国父、リー・クワンユー氏である。何の資源もない淡路島ほどの小さな島を、50年にも満たない期間で、世界で最も豊かな国の一つに成長させた。しかも、熱帯の蒸し暑い気候から、温帯に属する先進国に比して、国民が働きにくい環境にあるにもかかわらずだ。

これらのハンディキャップを見事に克服し、一人当たりのGDPが世界有数の高さを誇り、世帯当たりで最も富裕層が多い豊かな国を築き上げた。今でも世界一の国際競争力を有する国である。シンガポールがここまで来れたのは、紆余曲折のなかでもぶれることのないリー・クワンユー氏の徹底した現実主義があったからだと思う。

とあるランチで超富裕層の資産管理をやっている個人事業主の方に話を聞いた。「なぜシンガポールがここまで急成長できたか?」ということについてだ。

その方の話によれば、一番の理由は「リークワンユーの冷徹な確率計算とそれに基づく徹底した投資」であるという。つまり、リー氏はとにかく冷徹なエリート優遇策を取り、彼らに徹底的に仕事をさせたのだ。

シンガポールのエリート主義は有名な話だが、大まかに言えば、大器晩成を認めず、「優秀な人材は小学校時の成績から決まっている」という確率論により、小学校低学年の時点でエリートを徹底的に選別し、彼らに留学を含む研修や民間に負けない給料などの形で集中投資をして能力を伸ばし、政府や国営企業で働かせてきたのだ。


リー氏が国民に向けた演説で訴えたことで、当時でも反発はあったろうが、今の時代においては許されないと思われるものもたくさんある。以下に、いくつか紹介したい。

「大卒以上同士だけが結婚して子供をたくさん持て」

「医者が看護婦と結婚すると、三人の子供のうち、二人は凡庸になり、一人だけが優秀になるだろう。医者同士で結婚すれば三人とも優秀になる。だから医者は医者と結婚しなさい」

これらの発言は、日本やアメリカではもちろん許されないが、今のシンガポールでも許されないと思う。

小学校低学年からの早期選抜については常に批判があり、今はそれも徐々に緩和されつつあるが、シンガポールは冷徹に早期選抜をやり続けたから、ここまで来ることができたのだと思う。もちろんその裏で涙を呑んだ大器晩成型の人材もたくさんいたと思うのだが・・・。

「小学校の時は凡庸でも、20歳くらいから天才的な才能を発揮する人材が生まれることも、低い確率だが、あると思う。でも大多数はそうはならない。小学校の時の成績とその人の脳力は相関している。シンガポールには大器晩成という例外的な人間に賭ける余裕はない」とリー氏は割り切っていたのだと言う。

「すでに豊かで、社会の安定を最優先する先進国は機会の平等をうたわなければならない。でも、シンガポールは常に結果を出さなければならないので、きれいごとをいってはいられない」とその個人事業者の方は言う。

その割り切りの良さとそれに基づく行動力がリー氏のすごさだと思う。ゆえに彼の発言は歯に衣着せぬものになる。

国民の生活を豊かにしてきたからこそ支持された

私はリー氏に初めて会った時、こう言われた。

「あなたがミスタータムラか! よく来られた。ところでタムラという名前は日本でよく聞くが、あなたは世襲議員か?」

当時は世襲批判が日本政界でも巻き起こっていて、世襲議員ではないことが自分の売りだったので、私は自信満々に「違います。家族に政治家は一人もおりません」と伝えた。

すると途端にリー氏の顔は曇り、私を不憫に思うような表情で「そうか。悪いが、あなたは絶対に総理大臣にはなれない。世襲じゃない人間が日本の総理になる確率は非常に低いでしょう」と真顔で言われたのだった。

正直、その時私はムッとし、絶対に見返してやろうと思った。しかし、現状は冷徹にリー氏の言うとおりである。

日本ではシンガポールの早期選抜について「大器晩成を切り捨てても大丈夫か?」というような批判がある。その一方、シンガポールでは日本に対して「きちんとリーダー育成をせずに世襲にばかり頼って大丈夫か?」との見方もある(リー・クワンユーとリー・シェンロンは親子であり、ここも究極の世襲だがポスト リー・シェンロンからは徹底的に育成されたリーダー候補生がトップに着く予定だ)。

日本では、民主党政権下で世襲議員でない総理が二人ほど誕生したが、自民党政権が復活し、また世襲の総理だ。次も党の幹部や閣内にたくさんいる世襲議員が総理になる可能性が高いと思う。それがいい悪いということではなく、日本政界の環境では「世襲議員ばかりが総理になる」確率が高いであろうということをリー氏は言っていたのだと思う。

いくら一党独裁だからとはいえ、こういうことを平気でいうリーダーが30年以上も君臨できたのは、彼が常に結果を出してきたことと、国民が貧しく、そこを抜け出す強いリーダーを求めていたとういう時代背景があったからだと思う。「結果を出して、今よりももっと我々を豊かにしてくれれば、何をいわれようが平気だよ」というシンガポール人の現実主義もあっただろう。

ただ、「今の世代にこんなことを言ったら、いくらリー・クワンユーでも今の与党でもひとたまりもないだろう」とこの超富裕層相手にアドバイスをする事業家は言っていた。

人間のスピリットを信じるか?
「リー・クワンユーのシャープさは私も尊敬しているし、辛辣なスピーチも国民が支持してきた。ただ、リー・クワンユーの欠陥は人間のスピリットを信じないところだと思う。私は真に豊かになった人をたくさん見てきたから、本当に幸せな人をたくさん知っているが、それは学力よりも人間のスピリットに比例していると思う。スピリットのある人間が最後には勝つんだよ。学力で来た人は豊かさも幸せもそこそこだよ」と事業家はいう。

そうかもしれない。シリコンバレーや日本の創業経営者を見渡してみると学力優秀者はむしろ少数派で、ややドロップアウト気味の人が多いのではないか? 今のシンガポールではこういう人にはほとんどチャンスがない。

リー氏の言うことが全部正しいとは言えないが、スピリットで豊かになった人が成功できたのも、小学校の時に学力優秀で選抜されたエリートたちが頑張って、シンガポールに「頑張った人が報われる環境」を作ったからかもしれない。

私は、リー・クワンユー氏は人間のスピリットの大切さも知っていたのだと思う。そういう人はどんな逆境でも台頭することをわかっていたのだと思う。しかし、資源も何もない小国の、背水の陣での国家運営では、辛辣で冷徹な確率論に基づいたやり方を表明し、それに集中するしかなかったのではないだろうか。

やはり時代背景をよく理解しないと軽率に人物評価はできないと思う。とにかく、とてもつもない結果を出したということだけは確かだ。

シンガポールの方向転換は誰が?

しかし、日本を超えるほど豊かになった今のシンガポールでは、スピリットの発露が求められていると思う。わずか50年で急造されたこの豊かな都市国家が、確率論では測れない人間のスピリットや大器晩成をどう育て、花開かせていくのか? リー・クワンユー氏のような強いリーダーに引っ張られることに慣れたこの国民や政府が、これから先どのような方向に舵を切っていくのか、非常に楽しみである。