脱ゆとり教育から論理思考的教育へ

MATSUMOTO Kohei Ph.D.

//本記事は小生のブログを論理的に整理し推敲したものである。

もしかすると小さいうちからのディベート、グループディスカッションを伴う論理思考的教育型にすることで諸問題を解決できるかもしれない、という話である。


(はじめに)
現在の日本の初等教育から高等教育まで、基礎学力は重要なのは言うまでもないことを一言添えつつ反論するが、そのスタイルはディスカッション中心の授業ではなく、受け身の授業、一問一答式の座学が中心である。クイズ形式の受験システムが存在する以上変わらないかも知れない。その「脱ゆとり教育」は「ゆとり教育」よりはまだマシなのだが問題を履き違えており、本質的でない。何かの知識をより多く知っているから頭が良い、、、という時代はこれだけ情報が氾濫している社会においてはフィットせず、その情報やツールをいかに使うか、にシフトすべきだが一向にその様子はない。他国のケースではアメリカを始め、ヨーロッパのほとんど、アジア、中国はよくわからないが知り合いがいるので今度インタビューを試みるが、明らかに質問数が多いことを含め、議論等の訓練を受けてきた、あるいは受けてきたものと推測される(単に所得層や学力レベルに依存するかもしれないが)。余談だがアメリカの教育格差(1)やプルアップ(2)ついては論点が異なるので別の機会に議論する。

(現在の日本の閉塞的な問題点)
一問一答式の授業スタイルにより、日本語を話す島国として一つの存在感がそうするのか、集団主義的なのか基礎的な学力(≒覚える勉強)、識字率、数学的思考力は世界でも高い。しかしながら社会に出た時の発言能力、また国際学会、会議等でも論理的に質疑に加わる割合は日本人は必ずしも多くない。日本人同士のディスカッションではムラ意識からか議論する場は増える。しかし井戸端会議(≒ブレイン・ストーミング)と同じレベルで議論のルールを知らない。このことは以下の事象、

  • 議論のポイントが発散(3)、
  • 事実と意見の混同発言、
  • 議論の訓練不足によるコミュニケーション能力(コミュ力)不足、
  • 安全安心、空気読めなるバズワードが生まれ(これも小生ブログを参照)、
  • 論理的思考力の欠如による顧客の神格化、
  • 中等教育の校則や制服、
  • ビジネスマナーといったようなルール化することによる思考停止行動、
  • 謝罪を求める文化(戦略上有りかもしれないが、文言によっては自己の過失をすべて認めることになり結局は不利)、
  • 論理的思考に長けた人間を採用せずマシンを作りやすい新卒一括採用、及び終身雇用(については崩れているが)、
  • 犯罪者はペナルティーを受けても再挑戦できず(ある程度は仕方ないか)、
  • レールから外れたことをよしとしない、もしくは極度に恐れる、

などに繋がっているように見える(各論は小生のウェブサイトで今後述べていく)。わざわざ大人になってまで論理思考の停止した明らかに過剰なマナーを学ぶ人間は世界中見回しても少ないことは、2009年6月に行われたアンケート結果、即ち世界で一番ビジネスマナーが厳しい日本、という報告結果より裏付けられる(4)。このようにすべてのネガティブな事象がひとつの原因によってもたらされている可能性が高い、もしくは寄与率が高い。

(導入の際のメリット)
ディベートやグループディスカッションによる授業スタイルを行うメリットは上記の反対の事象になる可能性が高いと考える。初等教育から論理的思考力が多かれ少なかれ養われ、現在より多くの人が戦略的に考えられるようになるためである(初等教育でも論理的思考力は備わる可能性は十分ある(5))。ひいてはアイデンティティーを持った日本人であることを自ら証明する国際人が多くなり、活躍する可能性もある。ビジネスマナー等は小さい頃から戦略的な思考力が培われていき、そんな無駄なことをしなくても、、、と自ずと答えは出てくるだろう。即ち今の日本に欠如した、これから必須の能力は、「脱ゆとり教育」から「論理的思考力を伴ったディスカッション型の教育」である。

(導入困難性の議論)
勿論実現にはシステム変更するのだから当然困難を伴ったり、欠点もある。

  • 教育者をまず教育する必要性、周知等で時間を要する。
  • 基礎学力習得比率が落ちるのでその低下は避けられない。
  • ディベート自体の功罪も認知しておかなければならない(6)((7)の言及する“科学的命題の検証”を行なうのが良いと思う)。しかしながら、例えばグループディスカッションにおいてひとつの事象を自分の興味に基づいて深く掘り下げるため、勉強する(「覚える」ではなく「知る」)方法論を身につけられる。この習得は大きな武器であり、その気になれば興味を持った時、勉強をしたい時に、自分のライフスタイルに合わせていつでも習得可能であることを意味し、そのスタイルを選択する国民は今より増えるはずである。
  • 日本人特有の長所、例えば震災時にも見られたように非常に高い道徳心などはディベートの比率をあげることで個人主義的に偏り多少問題が出てくるかもしれない(論理思考により本来はさらに道徳心が上がるはずだが)。うまく行けばの話だが、論理的思考力がベースに、その上にうまく道徳観が載せられれば理想的である。

(結論)
結局のところ日本においては多様な人間は生み出せているとは思うのだが、認める文化、受け入れる文化、下地作りがまだ不足していると感じる。日本という一つの存在感ゆえに不得手としている「論理的に話し合う」事と、これまでの日本人の道徳観、勤勉性とをうまくミックスさせれば今の日本の閉塞感よりは少なくとも打破するような居心地の良い日本、及び世界に誇れる日本の姿が待っているものと考える。

参考とした文書、ウェブサイトなど
(1)米国の圧倒的な教育格差 #BLOGOS http://blogos.com/article/50989/
(2)ボトムアップよりプルアップでなければ日本は変わらない https://agora-web.jp/archives/1503036.html
(3)サイエンス的思考のススメ 松本公平 アゴラ https://agora-web.jp/archives/1473207.html
(4)誠 Biz.ID:メールに絵文字もNG ビジネスマナーが一番厳しい国は日本 http://bizmakoto.jp/bizid/articles/0906/10/news016.html
(5)小さな子どもたちも科学者と同じように思考する http://wired.jp/2012/10/15/children_think_like_scientists/
(6)外国人 「批判力が育たないニッポンの教育」への指摘 http://www.madameriri.com/2011/11/14/%e6%89%b9%e5%88%a4%e5%8a%9b%e3%81%8c%e8%82%b2%e3%81%9f%e3%81%aa%e3%81%84/
(7)“科学的命題の検証” http://www.str.ce.akita-u.ac.jp/~gotou/tebiki/dibeeto.html

松本公平(MATSUMOTOKoheiPh.D.,Geoscientist)
Twitter:@MATSUMOTO_K_PhD
Scientific-Global.net

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