昨夜観たテレビのニュースによるとJFA(日本サッカー協会)が、ボトムアップではなくプルアップによる選手育成に動いているとのこと。
どういうことかというと、サッカー人口全体のレベルアップを図る支援ではなく、一部のエリート選手を集めて徹底的に鍛え上げ、世界に通じるレベルに引き上げることで、その彼らが全体の目標となることで選手層全体のレベルアップにつながるという考え方なわけです。
正直、「今さらなの?」と思わなくもないですが、考え方そのものは賛成です。というよりも、ボトムアップ型の選手育成、いや、教育制度をいつまでも引きずっている先進国は日本だけのように思っていたので、サッカー界のこのシフトチェンジは大歓迎&大賛成です。むしろ、日本のあらゆる分野において、このプルアップ戦略を採択するべきだと僕は思います。
IT業界を中心とするベンチャー起業家たちは、このプルアップ戦略の良い事例として、昼夜問わず新しいサービスと市場作りに取り組んでいます。まず隗より始めよと言いますが、サッカーもさることながら、ぜひ今一度ベンチャー市場に皆が目を向けて、支援する社会体制を整備してもらいたいと思います。
そもそも、人間は平等であるというのは幻想です。機会均等でなければならないと思いますが、能力や情熱の有無には絶対的な差異があり、できる人はできる、できない人はできない。最近では小学校の運動会の徒競走では、予め計ったタイムの偏差値を合わせた子供たちごとに走らせるそうですが、こんなは愚の骨頂であり、阿呆の仕業です。これでは子供たちは自分が劣っていることや優れている点の認識ができなくなります。しかも子供たちの中には事前のタイムチェックのときに手を抜いて、なるべく遅い子たちと走ることで勝とうとする狡辛いことをする子もでているそうです。自分が短距離では脚が遅くとも、持久力では優れていたり、野球やサッカーのような総合的な運動能力を必要とする競技ならば得意になるかもしれない、あるいは運動そのものは苦手でも勉強ならば勝負できるかもしれないという、正しい自己認識をさせることこそが本来の教育です。脚の速い子に負けた悔しさを、他の競技や学問で晴らすことを考えさせることが教育のはずです。子供たちの個体差を大人が知らぬ間に一元化してしまうのは恐ろしい誤謬だと思います。
機会は平等に与えなければならないけれども、競争を避けて能力の違いの存在を子供たちに認識させないような今の教育は最悪です。現実の世界では、アジア諸国から尊敬を受けていた日本はもはや遠く、今ではなぜこんなに活力のない国になってしまったのかと同情を受けるようになってきています。中国も韓国も東南アジア諸国も、もはや日本を通り越して欧米諸国との激烈な経済競争に目を向けており、世界で認められる裕福で活力のある国家と国民であろうと懸命です。彼らには競争をさけるようなひ弱さはないのです。
いまIT業界ではスタートアップといって、急成長を遺伝子に組み込んだ新興企業が相次いで生まれており、それを支援する資本の仕組みも徐々に整備されつつあります。先に述べたような教育を受けてきたはずの若い世代からも続々とスタートアップに身を投じる者が増えてきています。この兆候を本物のムーブメントに変え、目を見張るような成功者をたくさん生み出し、世界に通じるベンチャー作りを応援し、日本全体をプルアップできるような経済効果を作り上げることこそが、最良の国策と僕は考えます。