景気対策なんて意味がない

池田 信夫


けさの野田首相と安倍総裁の議論は、安倍氏のハイテンションが目立った。特に焦点の日銀問題について安倍氏は「日銀は雇用の最大化に努力すべきだ。世界の中央銀行は雇用に責任をもつ」というが、これは誤りである。世界の中銀の中で雇用目標を課されているのはFRBだけで、これには批判が強い。


アゴラにも書いたことだが、スタグフレーション期の1978年に改正された連邦準備法は、物価と雇用のdual mandateを課され、この矛盾する目的を達成するのに四苦八苦してきた。理論的には、自然失業率を下回る「完全雇用」を実現することは不可能であり、中銀がそれをめざすべきでもない。したがって中銀は物価安定だけを目標とし、景気には責任を負わないというのが世界の常識である。

インフレ目標を「景気対策」と考えている人がいるようだが、それは間違いだ。定常的なインフレは、予想に織り込まれたら総需要に影響しないので、景気対策としては意味がない。マイルドなインフレが望ましいのは、実質賃金や実質債務を軽減して企業経営の改善を容易にする調整効果で、大したものではない。そもそも景気対策というのは意味があるのだろうか? 土居丈朗氏もいうように

今次総選挙にて投票で何を重視するかとの世論調査で、景気対策が回答の上位に挙がる。気持ちはわかるが、政府にできることとできないことがある。財政金融政策の有効性に関する経済学の知見が、45度線分析やIS-LM分析程度の理解しか普及してない事にも起因かも

この45度線というのは、次のようなおなじみの図だ。有効需要(消費+投資)は所得の関数として決まるので、これが45線と交わるところでマクロ的な均衡が成立するが、有効需要が不足すると失業が発生するので、政府の財政支出で完全雇用を達成する――というのだが、よく考えるとこの図はおかしい。


所得や支出はフローの数字なので、財政支出で完全雇用が達成されるとしても、それをやめたら元に戻ってしまう。民間の有効需要が青の実線の水準である限り、永遠にバラマキを続けないと完全雇用は維持できない。インフレも同じで、デフレからインフレになるときは雇用を増やす効果があるが、インフレ率が安定したら自然失業率に戻ってしまう。

この自然失業率に対応するGDPの水準を潜在GDP(自然水準)という。図の青い実線が自然水準だとすると、財政政策でこれを上回る点線のような水準を実現しても、それを持続させることはできない。これが現代の動学マクロ経済学が45度線のような「どマクロ」経済学と違うところだ。基本的に(金融危機のような非常時を除いて)短期的な景気対策は無意味だという結論になる。金融政策の役割も自然水準からはずれた場合の受動的な調整で、人為的にインフレにするなんてナンセンスだ。

政策として意味があるのは、橋下徹氏のいうように「ガンガン構造改革をやる」ことしかないのだ。これは「構造改革か景気優先か」といった主義主張の問題ではなく、政治が短期的な景気循環を改善することはできないというのが、現代の経済学の標準的な結論である。では具体的にどういう改革が必要かについては話が複雑になるので、今週のメルマガで。