「ブラック労働」をなんとかしろ 「ワタミ」叩きだけでは社会は変わらない

常見 陽平

3連休の初日は勤労感謝の日だった。すっかり誤解していたのだが、私たちの労働を「感謝される」日ではなく、元々は「勤労を尊び、生産を祝い、国民がたがいに感謝しあう日」として制定されたのだそうだ。

さて、私達の労働はまともなものだろうか?「ブラック企業」という言葉が世にはびこる今日この頃だが、いつの間にか「ブラック労働」に加担していないだろうか?



ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪 (文春新書)

先日、ブラック企業本の決定版とも言える本が発表された。『ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪』 (今野晴貴 文春新書)だ。若者の労働相談を受け付けるNPO法人POSSEの代表による渾身の一作だ。ここ数年、労働相談で増えているのはまさに「ブラック企業」だという。本書はブラック企業を、労働者個人としての問題だけでなく、社会問題として捉え直しつつ、個人としての対応策、そして社会としての対策までを論じている。これまでに1500件以上の労働相談と向き合ってきただけに、話がいちいち具体的で説得力がある。

私は、本書は2010年代の『自動車絶望工場』(鎌田慧 講談社文庫)だと評価している。日本の職場の劣化に改めて愕然とした次第である。

思うに、ここ数年「ブラック企業」という言葉が広がったことに、私は複雑な心境になっている。

この言葉が広がったことのメリットも、評価はしたい。セクハラ、パワハラ(ちなみに、これは同時に起こったり、犯人が一緒だったりで職場問題のセ・パ両リーグと言われる 大学ではアカハラがあるからア・リーグも存在する)という言葉があることで、以前からあった問題について、異議申立てがしやすくなった側面があるとおり、この言葉により「うちの会社、ブラック企業では?」と意識するキッカケにはなっただろう。

一方、ネット上での盛り上がりに代表されるように、ネタ的になっていたり、一部の企業を取り上げ面白がったり、叩いたりという話に終始しているようにも感じる。

私は複数の大学でキャリア教育を担当する非常勤講師をしている。中でも、武蔵野美術大学においては、「労働法」に関することを教えることを大学から期待されている。彼ら彼女のたちの進路の一つである編集プロダクションや、制作会社などは劣悪な労働環境の職場も中にはあり、労働法で身を守ることがマストだからだ。その文脈から、ブラック企業について議論する場も設けている。

学生たちに「ブラック企業とは何か?」という問いかけをしたところ、ある学生はこう答えた。

「ワタミ!」

たしかに、同社はブラック企業ネタになると必ず名前が出てきている。本書でも同社はウェザーニューズ、大庄、SHOP99、そして明らかにファーストリテイリングとわかる衣料品販売X社(断定はしていない)と並び、紹介されている。

同社をめぐる問題には同意するものの、これらの企業を他人事として叩くだけでは、日本の労働は変わらない。他人事ではなく、自分事、さらには社会の問題として捉え直すべきなのである。

むしろ、私が問題視しているのは、いま、目の前にある「ブラック労働」である。なんとなく強要される(いや、自分からしてしまう)サービス残業、なんとなくまかり通っている上司のパワハラ。こんなことをスルーすることによって、自分もいつの間にかブラック労働に加担していないだろうか。ついついタイムカードを過少申告したり、逆に差し戻されたりしていないだろうか。

この手の話をすると必ず、「サービス残業なんて、どんな会社にもある(ドヤッ)」「どんな会社にもあるから、そんなことで文句言うのは、甘え」「最初はブラックな職場で鍛えられた方がいい」という話になりがちだ。

ただ、この議論がまかり通ること自体、日本の職場がまともでないことの証拠と言えないだろうか。

「ワタミ」に代表されるブラック企業(だとされている企業)を叩くのもいいが、まずは、目の前の仕事、職場がまともかどうか、それに対する適切な異議申立てこそ必要だ。本書は単なる「ワタミ」叩きではなく、ブラック企業を社会問題として捉え直していることを私は高く評価している。

勤労感謝の日が終わって、最初の週末だ。自分の仕事と職場はまともかどうか、ブラック労働を自分もしていないか、今一度、胸に手をあてて考えてみよう。

そういう私も今月は既に残業80時間に匹敵するほど働いており、猛反省した次第である。ノマドワーカーに休みはないのだ。

なお、私も今後、ブラック労働の是正に向けてささやかな社会運動をはじめる予定である。12月8日(土)にそのための講演会を始め、施政方針演説を行う予定だ。詳細は個人ブログに後日アップするので、ご期待頂きたい。

ブラック企業、打倒!

ブラック労働、粉砕!

行こうぜ、労基署の向こうへ!