新しい規制組織のあり方---原子力事業に内包した「形式主義」からの脱却を

アゴラ編集部


北村俊郎
元原子力産業協会参事 元日本原子力発電理事

(GEPR編集部)日本原子力発電で事業者としてかかわり、福島原発事故で被災した北村俊郎氏の論考を掲載する。

形式に流れがちだったこれまでの行政

国会事故調査委員会が福島第一原発事故の教訓として、以前の規制当局が電気事業者の「規制の虜」、つまり事業者の方が知識と能力に秀でていたために、逆に事業者寄りの規制を行っていたことを指摘した。

この指摘は当てはまる点があるものの、かなり前から電気事業者側は規制当局が形式主義に走ったことに当惑していた。形ばかりの委員会による審査、保安規定に本来自主的活動であるべき品質保証体系を持ち込んだため、もっぱら書類に重点が置かれた検査。そこでも文章表現について指摘するなど本質的なものは、ほとんどなかった。


逆にその負担により、肝心の現場がおろそかになっていると、心ある技術者たちは悩んでいた。原子力安全・保安院が人材を育てられず、技術的に原子力安全基盤機構に依存していたことも関係者の間ではよく知られた事実であった。

原子力防災についても、想定は甘く、実際的といえるようなものではなく、防災訓練もごく限定したものでお茶を濁しつづけていた。新しく発足した原子力規制委員会、原子力規制庁は、独立性とともに、こうした形式主義から脱却することを求められている。

人に委ねると力が落ちる弊害も
                           
その形式主義が、監督官庁で続いていることを心配させる出来事があった。原子力規制委員会は、福島第一原発の事故のような過酷事故が発生した場合、全国の16のサイトで放射性物質がどのように地域に拡散するかについての予測を10月に公表した。しかしその一部を訂正した。

この問題で、原子力規制庁が記者会見して原因究明と再発防止策作りをすることになった。規制庁の幹部は「チェック体制が甘かった」と謝罪したが、シミュレーションをやったのは原子力安全基盤機構で、規制庁はシミュレーション結果を照合、確認することをせず、生のデータも持っていなかった。

原子力規制委員会はなによりも原子力規制庁の実力を高める方策を考えて実行しなければ、足元をすくわれかねない。

かつて電力会社では、原発に関する業務を大幅に子会社に委託することが行われた。例えば、電力会社の放射線管理員が行なっていた現場の空間線量や床の汚染などのサーベイは、すべて子会社の放射線管理員が行うようになった。その結果、電力会社の放射線管理員はサーベイの実務能力を落とし、逆に子会社の放射線管理員はたちまち腕を上げた。

電力会社の放射線管理員は子会社から上がってくるデータを見て、承認のハンコを押すだけになり、データがおかしいと気づく能力さえも徐々に低下させていった。業界や現場の裏の裏まで知り抜いた者が、監査や管理をしなくては現場に騙されてしまう。

拡散予測地図の使い方

またこの予測地図も、あることによって起きる弊害も見つめるべきであろう。国の原子力災害指針で示した30キロ圏を超えるケースもいくつかあって自治体の中には困惑するところも出ている。

この放射能拡散図は、そのサイトにおける年間の風向風速を根拠にしているから、放射性物質が一番飛んでいく可能性のある地点を示していることになる。限られた資源と時間を考えれば、一番可能性がある場所に注目して、そこに重点的に対策するのが普通だ。地図を参考に防災体制の整備をするというのは、一見合理的に思える。

現在の科学では地震がいつどこに起きるか予測出来ないのと同じで、ビルの屋上から落とした紙片が地上のどこに落ちるかは予測不可能だ。過酷事故で放射性物質が放出されるその瞬間、風向きや強さがどうなっているかは、サイコロの目と同じで、どうやっても事前に予測出来ない。福島第一原発の事故の際も、過去のデータでは海側の東方向に吹く確率が高かったが、北西方向に吹き、放射性物質は飯館村に向かった。まして今回の地図は地形などは考慮されていない。

原子力規制委員会の示した拡散予想地図で防災計画を立てるということは、それが外れた場合には、その地域は不意を突かれることになる。原発側では風向風速を見定めて、ベントしたいのだが思うようには行くまい。まして水素爆発などは不意にやってくる。拡散予想地図にとらわれすぎずに、陸側のどの方向に風が吹いても、合格点が取れる対応を考えておくことが防災上必要だ。

ブラッシュアップこそ大切

発足したての原子力規制委員会は国民の安全のため、手はじめに防災体制や防災計画づくりに取り組んでいることは評価できる。実際に事故が起きた場合を想定して、あらゆる場面での訓練を繰り返すことが大切だ。そうすることで、マニュアルの使いにくさ、機材の準備の不足、想定の不適切な点も浮かび上がってくる。これに修正を加えていくことで、本物の対応能力が育てられる。

時には機材を隠したり、間違った情報を出したりしてあわてさせることも必要であろう。そうすることで、臨機応変の能力がつき、情報確認の大切さが学べる。訓練結果を克明に分析すれば、根本的な設備の欠陥も明らかに出来る。そのようにしてこそ、現場が自然災害も含めた、より多くの事象に対応出来るようになる。

テレビで福島第一原発のベント作業をドラマ化していたが、入社以来、初めてSBO(ステーションブラックアウト(Station Blackout)の略。原子力施設における全電源喪失状態)の原発内を歩いた運転員はさぞかし心細かったに違いない。

福島第一原発の事故対応の混乱は、現場の能力、準備が決定的に不足していたことによるものであり、大きな反省となったはずだ。規制当局、電力各社、それに対象となった自治体は、まだ体制、計画づくりに取り掛かったばかりだが、万一への備えが整うまでブラシュアップしてもらう必要がある。

24時間の備えが必要
                             
日本には原発を始め、多くの原子力施設が存在しており、福島第一原発も、再び自然災害に襲われる危険性がある。原子力規制委員は、何時事故が起きても対応が出来るように、長岡藩の藩訓のように「常在戦場」である必要がある。

これは心がけだけではなく、委員会が24時間スタンバイであることを意味する。もし、委員の一人が海外出張をした場合は、代理者を立てるくらいのことを考えておくべきだ。そのほかの専門スタッフも福島第一原発の事故の時のように、次々に内閣参与に任命するようではだめで、これも代理者を含め予め適格者を確保、拘束しておく必要がある。

福島第一原発の事故は、関係者が認めるように条件としては比較的恵まれた平日の午後の勤務時間中に発生した。これが休日の夜間であれば、初期対応はさらに困難なものになり、さらに重大な結果となったはずだ。もっと悪い条件はいくつか想像することが出来る。

事故が休日や深夜であれば、マンパワーが絶対的に不足したはず、大雪や台風や落雷も怖い、津波は何波も繰り返し襲ってくる。テロやサボタージュ、伝染病や食中毒、有毒ガス発生、酸欠、油の流失や火災、危険な化学物質の飛散、より多くの死者、負傷者の発生、水や食料、医薬品などの不足などが考えられ、いくつかが同時に発生することもあり得る。

先日、大飯原発の事故訓練を伝えたテレビニュースでは、非常用電源車が勢いよく起動していたが、いつもうまく行くとは限らない。安全対策とは想像力のたくましさを鍛えることであるとも言える。原子力規制庁や電力会社の本社には危機管理に関するプロ中のプロを配置しなければならない。

今回の事故で、従来の電力会社が取っていた夜間休日の各部門の社員の拘束では不十分なこと、メーカーや協力会社の技術者、技能者も拘束しておかなければならないことが明らかになった。多数基のサイトでは同時に複数の原発の事故対応が必要となることも考えると、従来の部門別の拘束人数をかなり増員して、それらを訓練しておかねばならない。

立地自治体の関係者も同じである。いつ何時事故が発生しても住民の避難などを的確に行う必要があり、そのための要員を確保出来るようにシフトを組んでおくべきだ。現在、24時間体制が取られているのは、自衛隊、警察、消防、医療関係などであり、原発事故に対応するには、これらも含めて多方面で大幅な増員、体制の強化が必要である。

原発事故、それも自然災害との複合的なものとなれば、通信連絡手段、移動手段、測定器などの資機材、運搬手段も準備され、絶えず訓練がされていなければ、単に要員の確保をしていただけでは役立たない。このことは国、自治体、電力会社すべてに言えることだ。

要員の確保、訓練は一朝一夕には難しい問題だ。原子力規制委員会は自らも24時間体制を取るとともに、安全規制の重要な部分として、規制対象の各企業、各機関に対しても24時間の事故対応体制の確立が出来ているかを確認する必要がある。

形式主義をなくすことが原子力事業再生の第一歩

まとめれば、新設の規制庁は、そして原子力事業にかかわるすべての人は「仕事をした」という自己満足ではなく、本当にそれが意味のあることのなのか、という問いを不断にし続け、「形式主義」をなくしていくこと必要だ。

私は原子力に関わる仕事で、真面目に努力をしてきたつもりであった。しかし今振り返ればが、私の仕事の中にも、原子力業界にも、行政にも、「形式主義」に基づく活動が数多くあったように思う。もしかしたら、世界と日本のあらゆる組織が、大なり小なり形式に流れ、本質から離れる危険を内包しているのかもしれない。

福島原発事故事後の原子力の再生は、「形式主義をなくす」という身近な行動から始まるように思う。

北村 俊郎(きたむら・としろう)1944年滋賀県生まれ。67年、慶應義塾大学経済学部卒業後、日本原子力発電株式会社に入社。本社と東海発電所、敦賀発電所、福井事務所などの現場を交互に勤めあげ、理事社長室長、直営化推進プロジェクト・チームリーダーなどを歴任。主に労働安全、社員教育、地域対応、人事管理、直営工事などに携わった。原子力発電所の安全管理や人材育成について、数多くの現場経験にもとづく報告を国内やIAEA、ICONEなどで行う。近著に「原発推進者の無念―避難所生活で考え直したこと」(平凡社新書)