民主党は「構造改革」の原点に帰れ

池田 信夫

きょう行なわれる民主党の代表選挙では、海江田万里氏が選ばれるようだ。野田氏が退陣したあと有力な幹部が名乗りを上げなかったのは、来年の参院選でも敗北が目に見えているから、海江田氏を使い捨てようということだろう。こんな敗北主義では党の再建はおぼつかないが、竹中治堅氏がおもしろい指摘をしている。民主党の綱領的文書である基本政策には「構造改革」という言葉が残っているのだ。

国家財政に企業会計的視点を導入し、実態を国民にわかりやすく示す。行政改革・経済構造改革を進め、国・地方をあわせた財政赤字について、2010年までの明確な削減・抑制の数値目標を設定する。

自己責任と自由意思を前提とした市場原理を貫徹することにより、経済構造改革を行う。これにより、3%程度の持続可能な経済成長をめざす。

これは1998年に民主党が新党友愛や民政党と合併したとき書かれたものだが、その後、自由党と合併したあと、2006年に代表になった小沢一郎氏がバラマキ路線を取り、小泉政権の「構造改革」を批判したため、この路線は忘れられた。

しかし民主党が小泉氏より早くから構造改革という言葉を使っていたことは注目されてよい。この元祖は、旧民主党に合流した社会民主連合である。1977年に江田三郎などの「構造改革派」が社会党を離党して結成した社会市民連合(社民連の前身)の立党宣言である「明日の日本のために―市民社会主義への道」には、こう書かれている。

市民社会主義を創造し、それを担う人々、市民社会主義のエートスを表現する人間類型は自立的市民である。自立的市民とは労働者や農民と区別され、対置される特定の階級、階層を意味するカテゴリーではなく、あらゆる階層をつらぬいて、共同体への埋没や組織への従属から解放され、自主的な判断、公的、社会的な関心、市民的な自発性をもち、かつそれを可能とする一定の余暇と教養をそなえた、人間類型を意味する。

これは70年代に流行した内田義彦や平田清明などの市民社会論の影響を受けているが、学問的にも意味がある。封建社会を「共同体への埋没」ととらえ、そこから個人が自立することを市民革命の本質と考えた内田などの構造改革派は、丸山眞男などの近代主義のマルクス版だった。丸山も政治的には構改派に近く、その機関誌『現代の理論』に何度も寄稿している。

今では知る人も少ないが、構改派の学生組織だった「フロント」の拠点は、東大と慶応だった。仙谷由人氏はその東大組織の幹部で、菅直人氏は社民連の創立メンバーだった。つまり民主党の祖先には、構改派の「市民社会主義」があるのだ。

構改派は欧州では「ユーロコミュニズム」として政権をとる勢力になったが、日本では主流になれなかった。「心情の純粋性」を重んじる日本人にとっては、生産手段の国有化を否定し、議会を通じて改革する構改派の方針は不純にみえたのだろうが、実は構改派の本質はそういう改良主義ではなく、上の文書にみられるような近代主義だった。

これには批判もあろう。彼らが基本的には社会主義に依拠して分配の平等を求めたことは大きな限界で、この点は欧州の社民政党も軌道修正し、市場原理を重視するようになった。ところが日本の民主党では、小沢氏が逆にバラマキ福祉に先祖返りし、実行不可能なバラマキを約束したことが今回の敗因だった。

民主党はこれから綱領を制定するそうだが、この「基本政策」の原点に帰って「共同体への埋没や組織への従属から解放され、自主的な判断、公的、社会的な関心、市民的な自発性をもつ」という理念は、今でも魅力的だ。かつて市民の自立は理想だったが、伝統的な共同体や企業が個人を支えきれなくなった今、自立は宿命である。特に非正社員が増える若い世代では、組織に頼らない生き方を政府が支援する必要がある。

バラマキ財政を日銀のバラマキ金融でファイナンスさせようという安倍政権は、老朽化した江戸時代型システムを延命する「封建政党」である。これに対して個人が自立し、競争原理とグローバル資本主義を受け入れる「市民政党」を構築することは、建設的な野党の理念になると思う。かつて小沢氏にかつがれた海江田氏にそれができるかどうかは疑問だが。