政府与党の自民・公明は、14日夜の税制協議で、消費税を現行の5%から10%に引き上げるのに先立ち、2015年1月から所得税の最高税率を現行の40%から45%に引き上げることで合意した。低所得者の負担感が強い消費税増税を2015年4月から実施するのに伴い、高額所得者の税負担を強化するのが狙いだ。現在、日本では1800万円以上の所得に対して所得税40%、住民税10%の計50%の所得税率が課されている。さらに所得の3000万円以上(この金額に関してはまだ議論されている)の部分に、所得税45%、住民税10%の計55%を課すことになる。これで日本の高額所得者は、江戸時代では農民一揆が起こるギリギリの税率であるといわれている五公五民を超える重税に耐えていくことになる。筆者は、これは極めて愚かな税制改悪であり、このままでは日本経済の衰退は必定ではないかと危惧している。理由はみっつある。
まず、ひとつ目の理由は、そもそもこのような最高税率の引き上げで、税収が増えることは全く期待できないからである。五公五民を超える重税による勤労意欲の低下、国外への富裕層の流出、大小様々な節税対策により、おそらく税収は減ることになる。その証拠として、世界では、最高税率を引き下げても、税収は減らなかったり、むしろ増えていることの方が圧倒的に多いのである。香港などは毎年のように税金を安くしているのに、税収は増え続けている。シンガポールも同様だ。陸続きで文化も似通っている欧州では、税金を安くしないと富裕層が簡単に移住してしまうため租税競争が活発だが、こうした税率の引き下げにも関わらず税収は減っていない。拙著『グローバル資本主義を生き抜くための経済学入門』にも書いたが、ロシアでは、2001年1月1日に13%のフラット・タックスを導入した結果、2001年の個人所得税の税収がなんと47%(インフレ調整済みで25%)も上昇し、驚くことに2002年はそこからさらに40%(インフレ調整済みで25%)も税収が増加した。この程度のフェアな税率なら、脱税や手の込んだ節税など行わずそのまま申告した方がいいので、一気に税収増につながった。上に政策あれば下に対策あり、なのである。
このように日本での所得税の最高税率の引き上げは、政府の狙いとは真逆で、むしろ税収が減る可能性が極めて高いが、百歩譲って、上記のような効果が全くなく、今の申告される所得が全く変わらず、新たな税率で皆が税金を払うと仮定しても、税収増は微々たるものである。国税庁の平成23年分の民間給与実態統計調査によると、約4600万人の給与所得者のうちで所得が2500万円以上なのはわずか9万6000人しかいない。0.2%である。3000万円以上はデータがないが、おそらく0.1%を下回るだろう。同資料によると、所得が2500万円以上の所得者の所得税の総額は約1兆円である。仮に所得3000万円以上の部分に対する税収がこれの半分の5000億円とすると、ざっくりと計算して、税率を五公五民から55%に1割引き上げることで、たったの500億円程度の税収増にしかならない。40兆円以上の財政赤字を抱える日本で、これはまったく意味のない小さな数字である。ちなみに、これは税収増のベスト・シナリオであり、実際には、前の段落で説明したように、むしろ税収は減る。つまり、所得税の最高税率の引き上げは、税収を確保するためではなく、富裕層を狙い撃ちして、国民の人気を得ようという、純粋な政治パフォーマンスなのである。
ふたつ目の理由は、アジアでの租税競争である。シンガポールや香港をはじめ、アジア各国は、企業誘致、富裕層の誘致のため、法人税や所得税の引き下げ合戦をしている。シンガポールや香港では、所得税の最高税率は10%台である。これと比べると、日本の55%というのがどれほど高い税率か分かろう。これらのアジア諸国に対向するために税率を引き下げるならともかく、引き上げるというのは、全くもって自殺行為に他ならない。この日本のニュースを聞いた、シンガポール、香港、台湾、韓国などのアジア諸国の政策担当者は、大喜びだろう。
みっつ目の理由は、このわずか0.1%ほどのビジネス・リーダーたちこそが、これからの先進国の経済において必要な人材だからである。工場での組立作業など、低付加価値の労働は、否が応にも、賃金の低い新興国に移っていく。こうして新興国の国民は豊かになり、先進国の国民は、低付加価値の労働から開放され、新たな成長産業に移っていけるのだから、この事自体は悪いことではなく、むしろ喜ぶべきことだろう。そこで先進国では、高付加価値の研究開発の拠点、多国籍企業の戦略拠点、文化の発信拠点などが重要になってくる。こういったクリエイティブな分野において重要なのは、一握りの突出した人材である。彼らの周りに多くの人が集まり、産業が起こるのである。
さて、最初に述べたように、この所得税の最高税率の引き上げは、税収になんら貢献しないだろう。一方で、最高税率引き上げというニュースが、日本や世界に発するメッセージは強烈である。日本は、努力して成功し、多くの富を生み出した人材を罰する、というメッセージだ。こうして日本から富裕層が海外に流出し、優良企業も次々と海外に拠点を移していくだろう。世界から才能ある人材や、卓越した企業を誘致するどころではない。政府与党は一刻も早く、このひどく間違った税制の改悪案を撤回すべきだ。