今、世間が注目しているアイドルといえば、きゃりーぱみゅぱみゅとAKB48グループになる。きゃりーぱみゅぱみゅは世界ツアーを実施し、48グループはSKE、NMB、JKTなど次々と国内外にフランチャイズを増やし、どちらも芸能界を席巻している。きゃりーと48グループは、今までの常識(予定調和)を覆すものという点で似ているが、その中身は全く異なっている。秋元康が指摘するように、ファンは予定調和を崩すものに熱狂する。現在の芸能界での成功は、予定調和を崩すことになる。
きゃりーと48グループでは、予定調和の壊し方が異なる。きゃりーの運営は、きゃりーの意見を尊重し、作品を作り上げていくのに対し、48グループの運営は秋元康の意見によって作品を作る。どちらの作品も今までの常識(予定調和)を覆すものに仕上がっている。
きゃりーの作品はカワイイものとグロいものが同居している。きゃりーの考えているカワイイは、イノセントな少女が持つかわいらしさとその後ろに隠れた残忍性であり、20歳の女性だからこそ出せる感性になる。これは秋元康には逆立ちしても出てこないものでもある。きゃりーにはファンの予定調和を壊すというマーケッター的な考えは薄く、きゃりー自身の非凡な才能とそれを活かす増田セバスチャンや中田ヤスタカなどの運営スタッフが作り出すものが結果としてファンの予定調和を壊している。
48グループのアイドルは、運営側に言われるがままに動いている。「大人のヒトが決めたことをやる」48グループにはどこかイジメの匂いが漂っている。秋元康の世界観は少年の心を具現化したものになっている。アイドルをファンのレベルまで降ろし、可愛い女の子に過酷なことをやらせる。可愛い女の子は代替可能で、少年の夢を破る行為があれば容赦なく仲間はずれにするか、(その女の子に人気があれば)罰を与える。48グループのファンは、秋元康の世界観を受け入れ、どこにサプライズがあるか、を期待している。サプライズはほとんどの場合、アイドルにとっては過酷な試練で、可愛い女の子が過酷な試練を行う。彼女達はこの試練を無事成功させなくては48グループでは生き残れない。この過程が男性のみならず女性をも惹き付けている。48グループは日本人が心地よいと思う「日本のムラ意識」の延長線上にある。
きゃりーが描く世界は一種独特で万人受けするものではないが、東京カワイイ文化の賛同者が国内のみならず、海外にも増えている。きゃりーの運営側にいる才能あるクリエーターたちが産み出した東京カワイイ文化は世界で一定の評価を受けている。それに対して秋元康が描く世界は、海外ではチャイルド・アビューズとして見られることもある。退廃的な社会が産み出した娯楽が48グループである。東京カワイイ文化の先鞭をつけたのは48グループであるが、きゃりーにお株を奪われた格好になっている。
秋元康の構想に「待った」をかけたのはきゃりーではなく、48グループ自身である。48グループは日本の芸能界で摩擦を起こさずに上手くやっていくために48メンバーを様々な芸能事務所に所属させ、TV局や写真週刊誌とタイアップ企画を実施することによってスキャンダル報道を最小限に封じ込めている。世界有数の経済規模をもつ日本の芸能界での成功を優先したために「大人の意見」の対立が起き、それをまとめる形で秋元康が独裁者となってすべてを決定することで成功を維持している。48グループは、独自の劇場を持ち、正規メンバーと研究生を抱えていることでコストが嵩み、フランチャイズ展開は上手くいっていない。秋元康はスタッフへの権限委譲を考えているようだが、権限委譲した途端に「大人の意見」の対立が起き、空中分解してしまうだろう。
さて、東京カワイイ文化は、日本の景気回復に寄与する輸出財・サービスになるのだろうか。サービス貿易には、第1モードは国境を超える取引、第2モードは海外における消費、第3モードは業務上の拠点を通じてのサービス提供、第4モードは自然人の移動によるサービス提供、の4つのモードがある。国内拠点から海外に音楽のダウンロード販売等のサービスを提供するのが第1モード、海外のファンが日本にきてコンサート等を見るのが第2モード、JKT48のように海外拠点を作ってそこでサービスを提供するのが第3モード、JKT48に高城亜紀などを派遣するのが第4モードになる。これらのサービス貿易に付随してグッズの輸出が行われることで財の貿易も起きる。今までの日本は財の貿易が中心でサービス貿易は旅客・物流を除けば殆どなかった。今後は、知的財産権などのサービス貿易に活路を見いだすことが、日本の景気回復のためのひとつの処方箋になる。その有力なサービスの候補が東京カワイイ文化であり、イノベーションを起こすことによって貿易の稼ぎ頭になれる可能性を秘めている。