著者:イツァーク・ギルボア
出版: みすず書房
(2013-03-09)
★★★★★
最近、ミクロ経済学に人気がない。「人間は合理的ではない」という行動経済学からは続々と成果が出てくるが、「合理的だ」というミクロ経済学は、もう反証された時代遅れの理論とみられているようだ。しかし本書では、意思決定理論に貢献した巨匠が、その限界を踏まえて合理的選択とは何かを哲学的に考える。
近代科学の出発点は、事実と規範を区別して前者のみを対象とすることだ。カトリック教会が「太陽が地球のまわりを回るべきだ」と決めたとしても、科学はそれを否定する。経済学もそういう意味の科学をめざしたのだが、今や新古典派経済学は規範理論になってしまった。効用関数を最大化している人なんかいないし、そんな事実を証明することもできない。新古典派の消費者理論は「消費者が合理的ならそう行動すべきだ」という規範理論にすぎない。
しかし経済学の存在意義はそこにある、と著者は考える。人々の意思決定にはバイアスがあるが、経済学者が「それはおかしい」と批判したら反論できない。合理的な行動のほうが望ましい結果をもたらすからだ。したがって多くの人の集まる市場では、合理性が威力を発揮する。バイアスのある市場参加者は淘汰されるからだ。つまり合理的選択とは競争に生き残る選択のことなので、生物はきわめて合理的にできている。
では感情にはどういう意味があるのだろうか。それはヒュームがいったように、アジェンダ設定の機能である。アルゴリズム的な合理性は、与えられた問題には答を出すことはできるが、問題を決めることはできない。あなたが昼食に寿司を食うかそばを食うかを合理的に決めることはできないのだ。合理的に計算できるのは、寿司を食う場合に安い寿司屋を選ぶことだけである。
こうした哲学的な観点から、著者はゲーム理論や社会的選択理論なども批判的に総括し、カントからアロウまで参照して「合理的選択とは何か」を探究する。本文では数式は省いてやさしく書かれているが、学生にも専門家にも一読に値する教科書である。