澤氏は元経産官僚であり、現在は経団連21世紀経済研究所の研究主幹、NPO法人国際環境経済研究所(IEEI)の所長などを務めている。最近では著書『精神論抜きの電力入門』(新潮新書)がエネルギーフォーラム賞(2012年)を受賞した。(池田信夫氏の同書のアゴラでの書評「願望ではなく現実から出発するエネルギー政策」)。
福島原発事故の後で東電批判が強まり、電力改革が突如浮上。電力会社に地域独占を与えた日本の電力供給体制を、「電力自由化」の名目で変えようとしている。この改革は国民のためになるのだろうか。
猪突猛進の危うさを含む
民主党政権下の2012年7月に、経産大臣の諮問機関である電力システム改革委員会は、これまでの地域独占の見直しなどを提言する「電力システム改革の基本方針について」を公表。さらに自民党への政権交替後の13年2月に発表された「電力システム改革専門委員会報告書」では、「1・選択、料金、電力事業者の行動の自由化など小売りまでの自由化」「2・発電の自由化」「3・送配電の自由化、つまり地域独占の見直し」などが打ち出された。
民主党政権下で始まった電力自由化がほぼそのままの形で継続していることに、二人は「意外だった」と感想を述べた。そして改革案は、現時点では「猪突猛進と言えるもの。決めるべき事が決まっていないし、立ち止まって慎重に考えなければならないこと多すぎる」と、澤氏は指摘した。
澤氏は経産省在職時代には自由化を推進する立場に立って、政策を進めることが多かった。しかし電力の場合は「市場原理を導入することは賛成だが、現状を性急に変えることには慎重であるべき」という。制度作りの失敗によって引き起こされる停電や料金値上げによる社会混乱のコストが大きすぎるためだ。
これまで電力会社は、地域独占を与えられる代わりに供給義務を課せられた。改革案では、その供給義務の扱いは明確ではない。現時点で震災前に電源の3割を供給してきた原子力の大半は止まったままで、再稼動の先行きは不透明だ。「この中での自由化は、原発停止で生じた電力会社の経営負担を一段と深刻にしかねない」(澤氏)。
電力自由化とは「電力会社の経営に国が関与しないこと」を意味する。今の形の自由化では競争相手がいないため、強い電力会社が自由に価格を決められるようになってしまう。特に代替策のない家庭向け電力料金が上昇するだろう。また安定供給、電力価格上昇の可能性、さらに原子力の未来などの論点を改革案では精緻に検証していない。委員会は電力自由化の時期を明言しなかったが、「論点を整理しないと混乱のみが起こるでしょう」(澤氏)という。
感情論が悪影響を与えていないか?
二人が揃って危惧したのは、電力改革を語る際に「原発事故を起こした東電、そしてそれと同じ電力会社はけしからん」という感情論が、政策論の中に入り交じっていることだ。そして日本ではありがちだが、「正義」と「悪」で政策論を語る。「民主党政権での電力改革は必要性に迫られてというよりも、『悪い電力会社を懲らしめる』という民主党の政治家のパフォーマンスから始まったように見える。安く、安全に、安定的に電力を使うことが、目的であるべきだ」(池田氏)という。
経産省の中にいた澤氏には、「経産省と電力会社が癒着しているので自由化しなければならない」という紋切り型の主張に戸惑う面があるという。「経産省は時期と、担当者によって考えが違うが、基本的には電力自由化を主張し、地域独占を主張する電力業界と対立することが多かった」そうだ。
「経産省の電力政策をめぐる行動がおかしい。何が起こっているのでしょうか」と池田氏が疑問を示した。澤氏は詳細を分からないとしながらも、2回の政権交代とそして原発事故の後で「羹(あつもの)に懲りてなますを吹く」の状態、つまり「政治家の意向と世論を気にしすぎになっている」と古巣を分析した。
かつて行政の現場で追求された、論理的整合性や継続性で、官僚は政策を練らなくなった。そして原発事故の後、民意と政治がエネルギー政策を左右した。しかも事故の後で経産省は叩かれた。「現役官僚が戸惑い、萎縮する事は分かるが、政治の意向だけを忖度(そんたく)すると、何もできなくなるし、政策案もゆがんでくる。政治家と国民が議論できる正しい材料を作り上げてほしい」と述べた。
一方で、二人は電力自由化のメリットも指摘した。電力会社の経営の自由度が増し、ガスなどと合わせた総合エネルギー企業が誕生するかもしれない。そして競争が実現すれば、それは消費者が価格低下や多様なサービスから利益を得られる。「電力のようなインフラ企業は消費者サービスが苦手だから、サービス企業と組むことになるだろう。いろいろな可能性が開かれ、電力会社にも、消費者にも、メリットが産まれるかもしれない。しかし、それは制度設計次第だ」(澤氏)という。
原発は電力自由化と合わない
原子力について二人は当面必要という考えだ。しかし、その運営では長期のコスト回収、そしてさまざま法律や制度による下支えが必要になる。核廃棄物の管理も複雑だ。「自由化と原発は整合性が取りにくい。電力会社も嫌がるはずだ」と一致した。ところが、国の方針が原子力については不透明なままだ。
自民党への政権交代の中で、「すぐに原発を止める」という人の発言力は少なくなったように思える。ところが原子力を当面使う人の間では、考えがまちまちだ。推進するか、減らすか、減らすにしてもいつまでに行うかで、取るべき行動はまったく違う。「原発を巡るどんな政策をしても『仏つくって魂は入らず』ということになりがち。つまり人々の意思がまとまらないと、政策は効果が少なくなる。その上に国の方針が曖昧だと、さらに力がなくなるだろう」と、澤氏は危惧した。
目先の問題、規制委員会による混乱
澤氏は対談の日に、東京電力柏崎刈羽原子力発電所を地元に持つ新潟県柏崎市で講演をしてきた。「地元の意向は再稼動をしてほしいという声ばかりだった」という。現制度では、原発の稼動に合わせて交付金が地元自治体に入る。さらに原発の運営による関連産業への支出が、地元経済を潤す。いつ稼動されるか分からない現状で、地元では自治体、各企業が収入減に困り、そして先行き不安が広がっているという。
民主党の菅直人首相が2011年に原発事故後に介入して、法律に基づかずに原発を止めた。さらに12年秋に発足した原子力規制委員会が、新安全基準を今年7月に決める。それまで原発を動かさないという意向を規制委員会が法律に基づかないのに示したため、電力会社が動けない状況にある。さらに同委員会は原発敷地内の活断層の有無の認定を熱心に行う。活断層という一部に注目する政策は、多くの問題があることはこれまでGEPRで指摘してきた。(石川和男氏『原発停止継続、日本経済に打撃–活断層に偏重した安全規制は滑稽』)
「これも本当に大切なことから政策がずれている。エネルギー問題では全体像を考えるべきなのに、論点の一つにすぎない原発の是非にばかり関心が向く。そして原子力規制委員会は原発の安全を考える際に、考慮の対象の一つにすぎない活断層のみに注目する規制を進めている。規制委員会の役割は、原発の安全性を高め、稼動を適切に行うこと。ところが止めることが目的のようだ」と池田氏は批判した。
規制委員会は、新基準づくりで海外の事例を調べ、高額の機材の設置を電力会社に要求している。例えば、フランスのアレバ社しかつくれない一基当たり300億円近い「フィルター付きベント」の設置を、東日本に多い沸騰水型(BWR)の原子炉で義務づける意向だ。その設置には巨額のコストと数年の時間がかかりそうだ。
福島原発事故では、津波による安全確保用機材の損傷に加えて、人的、組織的な対応の未整備で、ソフト面の問題が被害を拡大した面がある。ところが規制委員会は、現場の意見を聞かずに高額な機材の整備というハード面ばかりに注目、その要求ばかりしている。「一連の規制委員会の行動は、逆に原発を安全にしないと、原子力工学の専門家が分析していた。現場の意見を聞かず、福島事故の教訓は事故原因の分析を反映していないためだ」(池田氏)。
また規制委員会のコミュニケーションの姿がおかしい。他省庁や政治家に情報を伝えず、電力会社との対話もない。「規制委員会が孤立している。ただし委員会を批判だけしても意味がない。適切な規制をするように方向を変えなければならない。そのためには政治が対話によって、経済面などの多様な論点を伝える必要がある」と指摘した。
澤氏は最後に提言をした。「国の方針がないと、原子力は方向が定まらない。政府各省庁がすくんでいる現状を考えると、政治のリーダーシップが必要な時だ。政権与党になった自民党は、同党の税調や、憲法調査会のような格の高い特別委員会をつくって、ここで議論を集約してはどうだろうか。原発だけではなく、医療などの科学技術利用、さらに国防への影響も検討する。政策が不明確なままだと、行政でも、企業でも、原子力に関係する現場の人々は、後でひっくり返ることを怖れて、先に進めない」という。
エネルギーをめぐる問題は、さまざまな論点が重なり合う。そしてその制度設計の失敗は私たちの生活につながる。この対談で示されたように、「電力改革は、安く、安全で、安定的な電力供給を実現するために行われるべき」という目的を、決して見失ってはならないだろう。
(構成・GEPR編集部)