アベノミクスで日本がイノベーション競争に向き合う体質転換ができるのか

大西 宏

円安、株高傾向がつづき、さらに景気の底打ち感や景気浮揚感が広がってきています。しかし、こういった傾向がかならずしもアベノミクスが効果を生んだというよりは、アナウンス効果で加速させたというのが正確なところでしょう。都心部の不動産公示価格もテレビなどではアベノミクス効果として取り上げているところもありますが、こちらもアベノミクスの政策スタートとはかかわりなく、先に地価下落に歯止めがかかりはじめていたのです。


経済のコメンテーターと称する人たちまでがアベノミクス効果だと錯覚するほど絶妙のタイミングで政権奪回をめざした安倍総裁の経済政策が打ち出され、それに反応して金融相場が動いたのです。株価で言えば、野田内閣が解散表明した後に18%も株価が上昇したことはいかに市場は民主党政権に嫌気をさしていたかを物語っています。

しかし、今はアベノミクスが景気回復の象徴するキーワードとなってきています。世相が明るくなるのは大いに結構なことですし、長い間深い霧のように覆っていた閉塞感が晴れてきたことも歓迎したいところです。それによって安倍内閣は高い支持率を得て、久々に決めることのできる政治が復活し、TPP交渉参加への反対派の動きも結局はガス抜きだけで動きも封じられ、結局は補助金の条件闘争に変わってしまいました。
最後はバリケードか。自民党流決着の方法 – 大西 宏のマーケティング・エッセンス :

しかし忘れてはならないのは、アベノミクスの金融政策や財政政策はカンフル剤であり、非常に大きな「日本経済に深刻な打撃となりかねないリスクを抱えた社会実験」だということです。

つまり三本目の矢といわれている成長戦略が成功しなければ、つまり実体経済が活性化しなければ、経済の素人が考えても、その副作用によって日本に深刻な事態を生みかねない懸念が拭えません。池田信夫さんがおっしゃるように、治る効果があると思い込むと、たとえそれが薬でなくとも実際に病気が治る偽薬(プラシーボ)のように効果を生んでいるうちはいいのですが、実際に大胆な金融緩和や財政政策がカンフル剤になると思って投与している内に大変な問題を引き起こす可能性がないわけではありません。

おそらくよほどの人でもない限り、アベノミクスによって投資が促進されたり、個人消費が伸びてきて、いい政策誘導によって、ほんとうに経済に活力を取り戻せなかったときは、金利上昇による財政圧迫や、コントロールの効かないハイパーインフレとまでいかなくとも、不景気のなかでのインフレが進行するスタグフレーションを引き起こしかねないことには共通認識があるのだと思います。

それらの副作用を避けるためにも、また政策の本丸は三本目の矢となる成長戦略がもっとも重要になってきます。しかも、経済の成長を実現するのは、政府ではなく、民間だということです。

政府ができることは、ビジョンを提示してそれぞれの企業の投資判断に影響をあたえ誘導することや、規制緩和によって企業活動の効率化や新たなビジネスが起こってくるための更地をつくることで、実際に経済の成長の鍵を握っているのは、それぞれの企業活動や個人消費です。

そのためには、80年代まであれほど世界で競争力を持っていた日本の経済が停滞してしまったのかを顧みて、政府頼みではなく、自らが明るい将来に向けて変わっていこうとする気運が生まれてくることがもっとも大切なことではないでしょうか。

しかし「成長戦略」という言葉には危うい意味も含まれています。GDPだけで見ていると、経済の水ぶくれになってしまいかねないこと、またなにか新しい分野への政府のいたずらな投資を生み出すことです。

その目標は経済規模を広げるということではなく、質の高い、競争力のある経済、追随できない付加価値を生み出せる社会や経済を実現することではないでしょうか。

日本の経済がよくなっていくためにもっとも重要なことは、生産性を追求する価値観や動きが定着することだと思います。企業で言えば、どうすれば収益力をあげることができるか、つまり利益率を高めていくことができるかです。個人も同じです。生産性をあげて、つまり高い結果を生む仕事によって個人所得がどれだけ向上するかにかかっています。

今日のデフレ経済を生んだ一因は、急速にデジタル化やグローバル化が進んだにもかかわらず、大きな変革ができず、結局はコストカットによって収益を確保する保守的な経営が蔓延し、所得を落としてしまったことにもあります。

今日の経済では、規模をいたずらに追い求めると、かならず世界規模で過当競争が起こってきます。同じ土俵で競争している限り、途上国に追いつかれ価格競争の泥沼にはまってしまいます。そこから抜けだせなかったのです。

その典型がテレビ業界でした。かつては世界には日本製品しかないというほどのポジションを持っていたのですが、それぞれのブランドが販売台数とシェアを競い合っているうちに、結局は韓国勢にキャッチアップされ、価格競争をしかけられ、壊滅的な打撃を受けてしまいました。

なぜなら日本ブランド間の競争で、すこしでも高いシェアをとろうと、テレビの性能や品質競争を追い求めてきたものの、テレビの概念を変えることができなかったからです。気がつくとテレビの技術まで成熟してしまい、途上国からのチャレンジやキャッチアップを許してしまったのです。

生産や販売の規模ではなく、収益性をあげることをもっと重視していたなら、テレビを「テレビ番組やDVDを見るもの」から変えていたはずです。テレビの利用目的を広げたのは、そこにゲームを持込んだ、SONYや任天堂、またマイクロソフトでした。そのゲーム機も今ではスマートフォンの台頭で市場そのものが脅かされてきています。

さて、製品やサービスで生産性を高めていくためには、もはや規模によるメリットに頼るだけでは実現できず、なんらかのイノベーションを持ち込めるかどうかにかかっています。

まずはイノベーションを「技術革新」だという発想から抜け出すことでしょう。日本の技術力は高いとしても、今日のほとんどの市場で起こっているのは、技術革新の競争だけでなく、ビジネスの仕組みと仕組みの競争であり、ビジネスの仕組みの革新による競争だというのが現実です。

デジタル化やグルーバル化の衝撃が、ビジネスのありかたを変えてきており、いまや国際的にもイノベーション競争が起こっていますが、残念なことに、GEが行なっている世界の経営層がもつイノベーションに対する意識調査で、日本は「イノベーションをもっとも牽引する国は」という設問については、米国(35%)、ドイツ(15%)、中国(12%)、日本(11%)、韓国(5%)と4位の評価をうけながら、「当社は破壊的なイノベーション(全くこれまでに存在しない新製品・サービスを生み出すこと)を、これまで以上に取り組んでいる」という設問に対して、「同意する」とした日本の回答者は14%に過ぎず、調査対象市場の中で最下位だったという残念な結果でした。
GEがイノベーション意識調査、日本の評価は高いが国内では「優先課題ではない」との意識も:ITpro :
今日はメンテナンス中になっていますが、より詳しくはこちら
ソフトバンク ビジネス+IT :

もっとイノベーションを重視する経営風土、アイデアや新しい発想を評価する風土、それらの実現をめざす風土づくりをアベノミクスが盛り込んでいくことだと思います。また今日のイノベーションがひとつの企業だけで起こせるレベルを超えていることが多く、戦略的なパートナーシップを柔軟に組むことも求められて来ます。日本ではパートナーを育てるというよりは、下請け企業や個人からのアイデア提案を平気で剽窃するといった悪い習慣も残念ながら残っています。それではイノベーションは育って来ません。

「成長戦略」という言葉を使うから、そこに霞ヶ関も加わったさまざまな思惑も混じりあってきます。いっそイノベーション戦略、イノベーションによる高付加価値戦略とでも名付けたほうがいいのではないかと感じます。