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分権と責任、信頼が日本復活の鍵となる --- 岡本 裕明

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私が80年代初頭にアメリカにいた際、日本は判断をするのが誰だかわからないし、その返事も遅くてやりにくい、ということを言われたのを鮮明に覚えています。今から30年前の話です。

今だ雑誌をぱらぱらめくってみれば意思決定が遅い日本ということが記載されていることを目にします。つまり、長年、この日本の悪癖は改善することがありませんでした。


ここカナダで事業を行う日本の大手企業はニューヨーク辺りにあるアメリカ本部の管轄下に置かれていることが多く見られます。ましてやバンクーバーの日本企業ではカナダ本社があるトロント経由ということになり、バンクーバーでの起案はトロント、ニューヨーク、東京本社という長いプロセスを経て決裁されることになります。これが電子「決裁」システムを使っているとしても通常案件ですら数日から一週間はかかっておかしくないと思います。

ではローカルレップや支店はそんなに権限がないのか、という話ですが残念ながらないのだろうと思います。某大手商社の駐在員でも接待は食事か二次会のどちらかに、という話を聞いたことがありますが、要は一日二軒はしごしても会社は面倒見ませんよ、ということかと思います。これは客が誰であろうとも、一律にルール化しているところでスタッフにマニュアルで縛るのと同じ行為であるといっても過言ではないのでしょう。

カナダの場合、日本からの進出は一部企業を除いてまず現地法人であります。つまり、親会社からは独立した会計をし、組織や管理体制も独立しているはずです。ところが、実質的には資本をほとんど親会社から出してもらっていますので現地法人は名ばかりで好きにさせてくれることはまずありません。しかし、親会社だからといって子会社、関連会社をそこまで自由にさせないのは管理という名の下で信用をしていないという見方も出来るのです。

日本の経営効率は悪い、とされています。集団合議制だからでしょう。常に会議、会議で忙しい、といい続けているのが日本のビジネスマンですが、私は基本的に会議が大嫌いであります。何人、何十人も集まって会議をしても聞いている人や参加している人は一部なのです。それは時間の無駄、コストの無駄です。時給2000円の人が10人1時間会議をすれば20000円なのです。これを延々とやり続けている理由は経営判断を少数で行うだけの人材不足と一種の責任転嫁であります。

「会議で決まったことですから」という意味には会議参加者の個々の責任はなく、合議なのだからそれが判断ミスであったとしても誰も責められないとも言えます。これはビジネスマンが個々の能力を高めるにはチャンスを逃してしまっているのではないでしょうか? 判断するには判断する人が一定の意思と論理を持って推し進めるという断固とした確信が必要であります。そして経営側はそれを信じるかどうかということであります。

私は日本企業が体質的により強くなるには能力ある従業員を更に引き出し、リーダーとしての権限を与えることかと思います。そしてその人の組織、チームに対してあめとむちを与えることでチーム単位の評価をしてみたらどうかと思います。

6月にAKBの総選挙がありますね。ところであの組織作りをビジネスに展開するということを考えた人はいるでしょうか? 主要なチームであるA,K,Bのリーダーたちがそのチームメイトと共に張り合っていく姿はある意味、日本の集団合議とアメリカ型のリーダーシップという組み合わせを行っているように見えるのです。

私はアメリカのカリスマ型経営は今の時代にマッチしなくなりつつある気がしています。トヨタのような集団合議方の方が時代の流れとしては取り込みやすいのですが、それには稲盛流アメーバに適正なるリーダーを配置し、リーダーとチームに一定の権限を与えるのであります。つまり、ユニット制、さらにドラフトやトレード制度を取り込んだ組織作りはサラリーマン個々が会社に寄りかかっていられないという危機感を持ち、結果として大きな躍進を果たす原動力を作るのではないでしょうか?

今日はこのぐらいにしておきましょう。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2013年5月7日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。
オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。