■違和感
奈良県立奈良病院産婦人科の医師2名が、病院を相手取って起こしていた訴訟で、医師側勝訴の判決が確定した(平成25年2月12日の最高裁の上告不受理決定)。本件訴訟では、医師の日宿直時の労働も、労働基準法で時間外手当てを支給すべき「労働」に当たるかどうかが争われた。結果、日宿直といえども、実質的には通常の労働と変わりないと判断され、日宿直の時間全体について時間外手当てを支給することを命ずる判決が下されたのである。
しかし、この判決のニュースを読んで、違和感を覚えた。そもそも何で残業代が支払われていなかったのか? とき・ところを選ばない分娩という行為を対象とする以上、産婦人科医の日宿直において、平日昼間と変わらない診療行為が行われているであろうことは、素人にも容易に想像が付く。そして、産婦人科医は、訴訟リスクやその労働の過酷さから専門として選ぶことが忌避され、数少ない産婦人科医は生け贄のごとくその身を激務に捧げていると聞いていた。
であれば、せめて正当に働いた対価である残業代くらい払ってあげようよ、というのが素直な心情である。それが払われてなかった? なぜ? というのが第一印象であった。
■訴訟の事実関係
本件訴訟の舞台となった奈良病院産婦人科には、当時6名の医師が勤務していた。奈良病院は三次救急までを扱う地域の中核病院の1つであった。そして、労働基準監督署から週1回の宿直、月1回の日直が、残業代の出ない「断続的労働」として許可されていた。しかし、実態としては、原告となった2人の医師は、およそ月に8~9回の宿日直をこなしており、かつ、裁判所の認定では、宿日直時間中の4割近い時間を通常業務に費やしていた。宿日直勤務中は医師が1人しかいないため、負担感としては日中昼間の業務よりも大きいものがあったとも言われている。
また、病院から明確な指示のあった宿日直だけでなく、医師らが独自に宅直の制度を設け、宿日直に当たっていない日も、医師1名が自宅で飲酒などを控えてオンコールに対応できる体制を取っていた。
なお、宿日直については、勤務1回につき2万円の手当が支給されていた。宅直については、手当ては支給されていない。
■法規制
一般論として、宿日直について、労働法上どのような規制が敷かれているかについて簡単に触れる。労働基準法(以下、単に「法」という。)32条は、1週48時間、1日8時間という労働時間の制限を設けている。ただし、監視又は断続的労働であって、行政官庁の許可を得たものについては、この労働時間の規制はかからないことになっている(法41条3号)。この監視又は断続的労働とは、ガードマンや踏切番などの労働を想定しており、本来の業務の常態が身体又は精神の緊張の少ないもの、休憩時間は少ないが手待ち時間が多いものをいうとされている(労働省発基第17号)。ただし、日常業務は通常の労働で、断続的労働が常態でない場合でも、宿日直に関わる断続的労働については、労働基準監督署の許可を受けた場合は、これを労働時間とはみなさないとしている(労働基準法施行規則23条)。
これを受けて、医師の宿日直についても通達が出ている(厚労省基発319007号)。ここで示された基準によると、「夜間に従事する業務は、一般の宿直業務以外には、病室の定時巡回、異常患者の医師への報告あるいは少数の要注意患者の定時検脈、検温等特殊の措置を要しない軽度の、又は短時間の業務に限ること。」とされている。したがって、宿日直担当者が分娩など通常業務に対応したら、その時点で許可条件に違反することになる。
また、宿日直の回数についても「宿直勤務については週1回、日直勤務については月1回を限度とすること。」とされている。
■裁判所の判断
このような法規制がある中で、本件の勤務実態がどのように裁かれたのか。
まず日宿直について。最も大きな争点は、本件の宿日直が断続的労働と言えるのか、であった。この点、本件の宿日直は、その4割近くの時間が通常業務に充てられたとされており、厚労省の通達の要件(定時巡回などに限る)に当てはめて考えると、その間の労働が断続的な労働であるとは到底言えない。さらに、それ以外の時間についても、宿日直勤務の医師がその業務から離れることが保証されているとは言えないので、労働法上、使用者の指揮命令下にあるものと評価される。したがって、本件における宿日直勤務は、全体として断続的労働とは言えないものであり、通常業務を行っていた4割の時間はもちろん、6割の手待ち時間も労働時間として扱うべきであるとした。
医師の実感として、宿日直勤務の方が平日昼間の勤務よりも負担感が大きかったという話も納得できるものであり、他の労働現場での判例と比較しても、この裁判所の判断は極めて正当なものと評価できる。
これに対し、宅直については、裁判所は労働時間とは認めなかった。宅直をせざるを得ないことが病院の体制の不備に由来するものであり、必要に迫られて取られていた措置であることは認めつつも、病院の指示が明確になく、病院の指揮命令下に置かれているとは言い難い実態がある以上、労働法上これを労働時間とみなすことは困難である。
マンションの住み込み管理人の事例(使用者の指示あり)などで、自室にいる時間の一部を労働時間とみなした判例もあるが、本件のように、病院の指示もなく、かつ、病院から離れた自宅にいる事例で、労働であることを認めることは困難であるから、これもやむを得ない判断であろう。
■解決策は?
しかし、判決を読むと、宅直についても、医師のボランティア精神に依存している実態が好ましくないものであると裁判所が考えているのが伝わってくる内容となっている。
全体として、本件判決の結論及び判決理由は納得のいくものであり、なぜこれまでこのような状態が放置されてきたのかについて疑問を覚える。実際のところ、奈良病院では、現在では産婦人科には9名の医師が勤務し、日宿直も緩和されているようである。しかし、これは奈良病院が判決の当事者であるという側面もあろう。もし他の病院で同じような実態があるとすれば、最初に述べた疑問はまだ解消されていないことになる。
この判決は、病院以外の労働現場では当たり前と言えるものであり、経営が厳しいからという理由で残業代不払いが許されないことは、大方の経営者は自覚しているのではなかろうか。もちろん残業代を支払わずに済ませている経営者も多いとは思うが、もし争われたら勝ち目がないことは分かっていることが多い。これに対し、病院経営者の意識はどうであろうか?
もちろん経営の実態としてきれい事ばかり言っていられないのも分かる。したがって、病院経営者の努力だけでなく、健康保険制度自体の見直しも併せて行わなければ、病院経営者の自助努力にのみ依存した解決となり、病院経営そのものを危うくしてしまう。しかし、今まで過重な負担を負う医師のボランティア精神にのみ支えられて、宿日直の制度が維持されてきた実態に、病院及び政府関係者は目を向け、制度設計をやり直すべきだろう。
平岡 敦
弁護士
編集部より:この記事は「先見創意の会」2013年5月7日のブログより転載させていただきました。快く転載を許可してくださった先見創意の会様に感謝いたします。
オリジナル原稿を読みたい方は先見創意の会コラムをご覧ください。