イジメ問題は道徳ではなく「哲学」で解決する --- 帆保 洋一

アゴラ

●学校の授業に「やさしい哲学」の授業を

子どものいじめ対策に、学校の教科に(やさしい哲学)の授業を取り入れたらどうでしょうか。現代は「哲学不在の時代」と言われます。また「哲学」と聞けばなんとなく(訳のわからない難しいこと)と、一般にはなじみの薄いものかと思います。哲学の根本は 「自分はなぜ存在しているのか」を考えることであり、正面から自分と向きあうことだろうと思います。不断はあらためてこのようなことを考えることはないと思いますが、「人間の存在考える」訓練をしておくことで「いじめ」の感情を減ずることができるように思います。


学校の「道徳教育」の中でこれに類するものがあるとは思いますが、ここに言いたいことは、指導に重点を置くのではなく生徒自らが考えることに重点を置くことが重要であります。また「道徳教育」に国家が深くかかわることについて、愛国心教育の義務化や特定の価値観の強制を危惧し(押し付ける。押し付けられる。)と言った感覚から、疑問を訴える声が今でも特に学校現場には多いと聞きます。これは、一つには「道徳教育」と言う言葉に抵抗があるのではないでしょうか。そうであれば、その名称を変えれば良いのではないかと思います。

将来、子どもたちが社会の一員として生きていく上で道徳心や規範意識は不可欠なものです。 「哲学(人間の存在を考える)」 ことは真善美を追及することであり、その中で自然発生的に道徳心や規範意識も学んでいくことになると思います。哲学的思考を訓練することで、自分と向き合いながら広く深く自分や世界をとらえて考えることを醸成し、真の人間の生き方や人間の尊厳を意識することにつながってくるのではないかと思うのです。『人間に対する尊厳を意識することができれば、人をいじめることなどできなくなります。』

「哲学」は結論を得るものでありません。ただ 「人間を考える」 ということに主体を置いて、このような授業を積み重ねていくことで、 「いじめ」 の発生を減ずることが期待できるのではないかと思うのです。教科の名称はともかく(やさしい哲学)が、名実ともに授業の一つに取り入れられることを推奨したいと思います。もちろん「哲学」の授業を始めるためには、その前段として授業をリードする先生が「人間とは何か!」を、深く考えておくことが必要であることは言うまでもありません。まずは教師自らが哲学に対する一定の勉強をしておくことも必要でしょう。

●「いじめ」はみんなで共有する

今、子どものいじめや自殺の問題について各所で真剣に論じられております。非常に悲しくそして難しい問題です。ただその論点の多くが、被害者を如何に救うことが出来るかに焦点が合わされているようです。確かに被害者を救済することは第一義的に考えることでありますが、同時に如何にして「いじめ」が発生しないようにするか、この対策が要であることは言うまでもありません。

「いじめ」の理由はいろいろあろうかと思います。例えば、
 ・他人をいじめて快感を得る。
 ・また自分の不幸を認めたくなくて、かわりに他人をいじめて自分をごまかす。
 ・ストレスのはけぐちとしていじめる。
 ・人をいじめないと自分がいじめられるかもしれないので、その恐怖心からいじめる。
 ・自分がいじめられた腹いせに関係のない他人をいじめる。
 ・家庭で強く抑圧を受けていることが理由で、心のバランスを保つためにいじめの行動をとる。
 ・劣等感から他人を攻撃しいじめる。
 ・自分のふがいなさから自虐的な気持ちで人をいじめる。
このように、いろいろな理由が想定できるのではないかと思います。

人間に聖人君子を求めても能うことは出来ません. 人の集うところ大なり小なり 「いじめ」 はなくならないでしょう。「いじめ」 の感情が生まれてこないような雰囲気を作ることが大切だと思います。「いじめ」 の兆候を、教師・生徒・父兄共々なるべく早くとらえて、その対策を講じることが肝心かと思います。そのためには、「いじめ」 の兆候を教師・生・父兄で共有することが、最も必要なことではないでしょうか。

まずは、すべての教職員がこの問題に深くかかわることが必要だと思います。仮に 「いじめ担当の先生を決める」 とした場合、面談による相談やカウンセリング的なことまで1人で担当すると、判断が偏ってきたりまた担当の先生に重圧がかかりすぎて、対応が難しいのではないか思います。

「いじめ相談」のあり方として、すべての教職員が誰からでも相談を受けることができるような体制を整えること。またメールの相談も多いと思いますので、 メールについては情報の散逸を防ぐために「相談アドレス」 を決めておく。メールは匿名可とする。受信したメールは秘密保持のもと、全教職員閲覧可とする。メールを受け付けたら即座に話し合いを持ち対応する。生徒からの申し出以外にも、教職員の誰かが 「いじめ」 の兆候を感じたら直ちに(毎日でも)教職員全員でそのことを共有する。その上ですべての職員で対策を話し合います。こうしてみんなで共有して事に当たることが肝心かと思います。

そして「いじめ」の兆候を素早くつかむことができるように、教職員全員が常時「いじめ」に対して気持ちを傾けること。小さなことも見逃さず丁寧に素早くみんなで取り組んでいことにより、少しずついじめられる側もいじめる側も、共に救って行くことが出来るのではないだろうか思うのです。

学校現場ではいろいろ難しい面もあろうかとは思いますが、一市民として、何とか 「いじめ」 の状況を減ずることは出来ないものかとの思いから綴ってみました。

帆保 洋一(ほぼ よういち)
IT講師 & キャリアコンサルタント
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