黒田氏の「異次元緩和」にはもともと、どうやって2%のインフレが起こるのかという具体的な波及経路が欠け、「期待」に頼る主観主義だった。それは人々が期待しているうちは効果があるようにみえるが、「失望」すると終わる。これは「必勝の信念」さえあれば武器や補給がなくても勝てる、という日本軍の精神主義を思わせる。
山本七平は『孫子』を初めて読んだとき、そこに「愛国心」も「必勝の信念」もないことに衝撃を受けたという。『孫子』は兵士に対して超人的な努力を要求せず、「戦力にまさる相手とは戦うな」という。中国の軍隊の最高指揮官はすべて文官だった。戦争は国家のためにやるのであって、その逆ではないからだ。
兵は国の大事にして、死生の地、存亡の道なり。[…]明主は之を慮り、良将は之を修む。主は怒りを以て師を興す可からず、将は怒りを以て戦いを致す可からず。
国家のためにならない戦争は、やらないことが最善だから、戦争でいちばん大事なのは、経済力・補給力を含めた彼我の戦力の見きわめである。いくら兵士の士気が高くても、兵力や武器が少なくては勝てない。このときは、戦争を避けることが名将の条件である。
勝ちと知るに五有り。以て戦う可きと、以て戦う可からざるとを知る者は勝つ。衆寡の用を識る者は勝つ。[…]ゆえに曰く、彼を知り己を知れば、百戦して危うからず。
目的を達成するためには戦力が十分必要であり、そういう客観情勢を見きわめないまま日米開戦のように「怒りを以て戦いを致す」と必ず負ける。このリアリズムは、経営戦略の失敗を残業の連続のガンバリズムで埋め合わせようとする日本企業にも、中身のない「成長戦略」を誇大な目標の羅列でごまかそうとする日本政府にもないものだ。
黒田氏の過剰な自信は、2000年代初めに財務官としてやったドル買い介入の成功体験にもとづいていると思われるが、あのときはアメリカに「強いドル」を容認して弱体化した日本を救済する余力があった。為替介入は財政支出だから買った分だけドルが上がるが、金融政策は資産調整であり、為替介入とはまったく違うのだ。
いずれにせよ「黒田バズーカ」は、金融引き締めと株安という逆噴射で終わった。少なくともこれ以上、国債を買い続けることは危険だ。まず量的緩和を一時停止し、これまでの政策がなぜ失敗したのかを冷静に検討することが必要だ。「彼を知らずしても己を知れば一勝一敗ぐらいですむ」と孫子も言っている。