前回の記事に関してblogosでいくつか非常に優良な意見をいただいたので、紹介がてら農業政策についてちょっとだけ議論を深めてみたいと思います。
<意見1>
私は農村で育ちました。そこで、我が家と農協との関わりが、当時はどんなものであったか知っています。
まず、米以外の農産物の販売と物品の購入は民間業者を介しても可能でした。実は、米すらも闇で民間業者に売ることもできました。我が家では、家畜の飼料や肥料などは民間業者から購入していたものもありますが、農産物の出荷と農薬などの購入、そして貯金などは農協を介して行っていました。
まず、個々の農産物の出荷のためには出荷組合というものがありました。これは、特定の農産物を生産する農家がまとまって卸売り業者と長期契約を結ぶものですから、個々の農家は契約内容を知らなくても、出荷量と価格がある程度安定し、安心できるものでした。それから、大規模な病虫害が発生したりその発生が予想されるときは、農業指導員と言う人がどこからか現れて、大規模な農薬散布などの対策を指導します。こうしたことは、民間業者にはできないこととおもいます。
それから、お金に関しては、農協が出荷代金から物品の購入代金を自動的に引いて管理をもらえました。
そして、農協の支店は家から200mほどのところにありました。それから、野良着姿で町の銀行にいけますか?
お袋は、亡くなるまで農協の世話になっていました。そして、農協の悪口は一度も聞いたことがありません。
農協の役割というものを現場視点から語った貴重な意見だと思います。やっぱり現実に零細が多い農業ではこうした事務・流通をまとめて行う農協の機能は貴重なものだったし、今でも重要なんだと思います。だから農協改革には勢いじゃなくて慎重さがどうしても求められる。ただいわゆる「預金通帳ごと預ける」とも言われる事業の勘定までまとめてまかせる依存体質は、農家から「経営」という概念を奪ってしまったという側面があります。今もっとも農業に欠けている視点であるこの「経営」という概念を根付かせるには(逆に言えば生産に特化しすぎている)、どうしてもこの依存体質を見直していかなければならないでしょう。個人的にはこの長年の慣習を見直すには、金融事業の分離しかないとは思うのですが、次の意見で紹介するような難しさもあって個人的には諸手を上げてこちらに行け、という気にもならないんですよね。
<意見2>
全農と単位農協をごっちゃにした議論があるようです。わたしは全農のことは よくわかりません。だからこれから書くのは単協のことです。単協は系統出荷でも農業関連資材や肥料農薬の販売でも利益は出ていません。だから筆者のいうように金融と共済での利益で農業関連の赤字を埋めている状態です。金融共済は現状は農家でない準組合員のシェアがどんどん上がっている状態です。今、金融共済を分離すれば、農協の農業関連事業はすべて潰れるでしょう。そして、あまり優良といえない金融機関が誕生するだけです。
農協は、兼業農家のための組織になっていて、大規模な専業農家の多くは自分ですべてやっているので、農協は関係ありません。TVによく出て来る農協と喧嘩している専業農家だけでなく普通に農協以外から仕入れし出荷しています。
農協の組織票なんて大したものでは有りません。だって殆どが兼業農家で、公務員であったり、会社員なのですから、また準組合員は兼業農家でさえありません。結局、農協は赤字の農業関連事業をぶら下げた中小金融機関でしかないのです。
理事は天下ったりはしていません。組合員の中から選出され、理事の互選で常勤の役員が決まります。公職選挙法の適用はありませんから、組合によっては実弾が飛んだりもするようですし、うちの組合は今度改選期ですが、組合長が、辞めるということで、専務が次期組合長になりたかったようですが、地元の組合員が、どうしても選出しないということで理事にもなれなくて専務で退職です。
中央官庁は全農とやり取りしているのでしょうから、組織図からいろいろ考えるのでしょうが、末端の農協はそんなに簡単では有りません。
日本の農業のためになることが、必ずしも農協のためにならないのは、大変苦しいところではあります。それは兼業農家を潰すということで、農協は兼業農家のためにあるのですから。
これは現在の農協の現状を等身大で語った貴重な意見だと思います。農協が兼業農家によって構成されている現状、「金融事業無しでは単協はなりたたず潰れる」という実態を語っています。また根拠無き天下り批判もここでは「そんなことはない」と実態を語ってくれています。「農協は兼業農家によって支えられており、日本の農業を支えているのも兼業である」という現実をどうみるか、ということが今農業政策を語る上で重要なことなんですよね。いくら「国際競争力無き産業は滅べ」と言ったところで、この「兼業農家と農協」という組み合わせは一体となって経済的に持続可能なので、そう簡単には崩せない訳です。そして専業農家は専業農家で既に独自の発展経路に乗っているので、農協がそんなに障害になっている訳ではない。問題はむしろ関税なわけで、気をつけないと新自由主義論者の方が大好きなTPPは、結果として新自由主義の方が大好きな専業農家を潰すことになってしまうんですよね。兼業農家に取って農業は副収入に過ぎない訳で、そこが値崩れしても生きては行けますからね。専業農家はそうはいかない。何よりもただですら消滅しそうな「年金+高齢者零細農業」という山村は、TPPの関税交渉で押し込まれるようなことがあれば次々と消滅していくことが予想されますが、それもまたしょうがないのかもしれません。この辺単に産業論だけじゃなくて、食料安保という観点も入ってきてそう簡単には結論が出ない問題ですね。
個人的には日本の農業政策の軸は「専業で若者が食べていける」とかいう妄想を語るのは辞めて、担い手の主軸を定年後の高齢者に想定して「年金+農業収入」で食べていくというモデルに転換すべき何じゃなかろうかと思っています。産業論と食料安保論のせめぎ合いも国単位じゃ神学論争に無って多分結論が出なくて、家族・親族単位で考えるべき問題なんじゃないかなと。
ではでは今日はこんなところで。
編集部より:このブログは「うさみのりやのブログ」2013年6月21日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はうさみのりやのブログをご覧ください。