イノベーションの場としての市場 - 『ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス』

池田 信夫

ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス: 生涯とその思想 [単行本]
著者:イスラエル・カーズナー
出版:春秋社
★★★★☆


日米の経済政策論争で大きく違うのは、日本では財政・金融的な介入主義の圧力が強いのに対して、アメリカでは逆にFRBの金融緩和に対する保守派からの批判が強いことだ。特にその急先鋒がオーストリア学派で、政府や中央銀行の介入を徹底的に否定するのが特徴だ。日本ではハイエクがその代表として知られているが、その元祖はミーゼスである。

ミーゼスの経済学の特徴は、市場を新古典派のような静的な均衡状態ではなく、動的なプロセスと考えることだ。彼は(一般に誤解されているように)市場がつねに完全に機能すると信じたのではなく、市場はつねに誤るが、それを訂正するメカニズムを内蔵していると考えた。重要なのは結果としての均衡状態の「効率性」ではなく、むしろつねに不均衡を作り出すイノベーションの可能性である。

だから彼は、政府が企業のシェアを基準にして規制する独禁政策にも反対した。たとえばIBMのシェアが70年代に世界の7割だったことは問題ではなく、その独占を破壊するマイクロソフトという企業のイノベーションの自由を保証することが重要なのだ。「自然独占」を前提にした政府の介入は、しばしば独占を温存してイノベーションを封殺する結果になってしまう。

ミーゼスは「景気対策」にも反対した。彼の景気循環論はウィクセルを継承したもので、自然利子率を下回る金利で過剰投資が起こり、それによるバブルが崩壊して過少投資になるサイクルが景気循環だと考える。したがって金融政策の役割は金利を自然利子率に近づけること以外にないので、中央銀行は必要ない。

このようなミーゼスの経済学は、ハイエクより徹底した古典的自由主義であり、故国では受け入れられず、亡命を強いられた。彼が最初に「社会主義的計算の不可能性」を証明したのは1922年だが、それが評価されるようになったのは戦後である。彼の理論は一度も経済学の主流になったことはないが、今も著者カーズナーの名著、Competition and Entrepreneurshipなどのイノベーションの理論に継承されている。