本書によれば、戦前の一時期、二大政党が存在しえた最大の理由は、伊藤博文のつくった「御用政党」である政友会に対して、大正デモクラシーとともに育った民衆の声を代表する民政党という階級対立が、それなりにあったことだという。反・政友会の諸派を寄せ集めてできた民政党は、今の民主党に近い。もちろん議院内閣制ではないので限界はあるが、1920年代まではそれなりに二大政党が機能した。
それを破壊したのは、30年代の大恐慌と、それにともなう軍部の勢力拡大だ。満州事変に対して民政党内閣はただちに不拡大方針を表明したが、軍部の戦線拡大は止まらず、二大政党が「協力内閣」を組織して軍部を阻止しようとするが、政友会は議員総会で「満蒙は帝国の生命線」とする決議を採択し、民政党内閣は倒れる。これに代わった政友会の犬養内閣は五・一五事件で倒れ、二大政党の時代は終わる。
このあと「挙国一致」を理由にしてすべての政党が解散し、大政翼賛会に合流する。これは政友会が軍部と連携して一党支配を強めるための偽装解散だったが、先頭を切って軍部に協力したのは、民政党に次ぐ大勢力となっていた無産政党だった。彼らは、国家総動員法などの統制経済こそ社会主義への道だと考えたからだ。日本でも、ファシズムの尖兵になったのは左翼だった。
しかし大政翼賛会による内閣が軍部独裁に見えなかったのは、首相に近衛文麿が就任したからだ。近衛には国民的人気があったが、政党にも官僚機構にも軍部にも足場がなかったため何もできず、軍部が勝手に戦線を拡大し、東條陸相が日米開戦を決めても止めることができなかった。
今の日本の状況はこれとは違うが、二大政党が崩壊すると二度と元に戻らないのは、戦前の教訓だ。いま戦争の脅威はないが、それに相当するのは財政危機だ。当時も、積極的に戦争を進めた政治家はいない。誰もが戦争を避けようと考えながら、政争で足を引っ張り合ううちに軍部に権力を乗っ取られたのだ。よく近衛と比較される安倍首相も、人気のない政策には手をつけない点がよく似ている。
著者も指摘するように、戦前の教訓は「非常時小康」のうちに危機を防ぐ政治体制を構築すべきだということである。戦争になってからでは、政党は機能しない。1000兆円の政府債務の上に日銀が270兆円もガソリンをまいてインフレの火をつける「異次元緩和」は、満州事変に等しい自殺行為だ。燃え上がってからでは遅い、というのが戦前の教訓である。