内閣法制局は必要か

池田 信夫

安倍首相が内閣法制局長官に小松一郎駐仏大使を起用したことが論議を呼んでいる。ふだんは話題にもならない地味なポストが注目されるのは、小松氏が集団的自衛権を容認する立場だからである。朝日新聞はさっそく元長官にインタビューして「憲法の拡大解釈の歯止めが必要だ」と言わせているが、これは筋違いだ。憲法解釈をするのは、法制局ではなく裁判所である。


法制局は明治憲法でも規定されていないのに、内閣の調整機能をが弱いため、その一部を代行し、初期の参事官に美濃部達吉や穂積八束など帝大法学部の教授がなったため、高い権威をもった。このため戦前の政党政治では、法制局長官は各省の次官と並んで重要な人事であり、政治任用だった。

敗戦によって法制局は廃止されて司法省(当時)に統合されたが、サンフランシスコ条約後に復活した。本来は法令審査機能しかないのに「内閣法制局」となり、事務次官会議にも出席する。その最大の理由は、各省の調整と憲法解釈をするためだ。各省は法案提出前に何ヶ月も法制局のチェックを受け、それをを通らないと法案が提出できない。

日本の裁判所が違憲判決を出さず、しかも1票の格差のように何度も違憲判決が出ても政府が従わないのは、実質的に法制局が裁判所の役割を代行し、内閣の提出した法案はすべて合憲だという建て前になっているからだ。8年間にわたって法制局長官をつとめた高辻正巳氏は、もし彼が長官として認めた法案を最高裁が違憲と判断したら、「私は切腹しなければならぬ」と語ったという。

このように一行政機関が立法機能と司法機能を兼ね、各省折衝や事務次官会議で、政治家に見せる前に法律が完成している。閣議は、それに「花押」を押すだけの儀式で、国会はそれを修正する力もない野党が騒ぐ芝居小屋みたいなものだ。このように形骸化した民主主義のシンボルが法制局である。

今回を前例として法制局長官は政治任用とし、各省の事務次官や局長級にも民間から起用する政治任用を広げるべきだ。最終的には法制局を法務省に移し、国会や各省から要望があれば法案の文言をチェックする機関にすべきだ。このように官僚の人事を内閣が掌握することが「政治主導」の第一歩である。