「聖人」と奇跡を願う人々 --- 長谷川 良

アゴラ

ローマ法王フランシスコは先月30日、枢機卿会議でヨハネ23世(在位1958年10月~63年6月)とヨハネ・パウロ2世(在位1978年~2005年)を来年4月27日、イースター明けに聖人とする列聖式を挙行すると発表した。ヨハネ23世はカトリック教会の近代化を決定した第2バチカン公会議の提唱者であり、信者たちから最も愛される法王として有名だ。一方、ヨハネ・パウロ2世は“空飛ぶ法王”と呼ばれ、世界を司牧訪問し、冷戦時代の終焉に貢献したことはまだ記憶に新しい。同2世の場合、死後9年で聖人に列挙されるという異例の早やさだ。

▲ヨハネ23世の銅像、手や唇周辺は色が剥げている(2013年9月26日、ヨハネ23世の生家で撮影)


ローマ・カトリック教会では「聖人」の前段階に「福者」というランクがある。そして「列福」と「列聖」入りするためには、当人が関与した奇跡が証明されなければならない。ヨハネ・パウロ2世の場合、2011年5月、列福されたが、バチカンの奇跡調査委員会はフランスのマリー・サイモン・ピエール修道女の奇跡を公認している。彼女は2001年以来、ヨハネ・パウロ2世と同様、パーキンソン症候で手や体の震えに悩まされてきたが、05年6月2日夜、亡くなった同2世のことを考えながら祈っていると、「説明できない理由から、手の震えなどが瞬間に癒された」というのだ。バチカンの列聖庁の要請を受けて医事委員会が過去、2回、仏修道女の「奇跡」を調査した結果、「奇跡は事実だ」と認定されたのだ。「列聖」入りのためのもう一つの奇跡は、コスタリカの女性の病気回復が公認された経緯がある(ヨハネ23世の場合、フランシスコ法王が奇跡調査を免除している)。

ローマ・カトリック教会総本山、バチカン法王庁が「聖母マリの再臨」現象やそれに伴う「奇跡」に対して非常に慎重な立場を取っていることは良く知られているが、身内の法王の列聖、列福に「奇跡」の認定が必要となると、かなり気前良く、それも迅速に認定するものだ。

例えば、ボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボ西約50キロのメジュゴリエで81年6月、当時15歳と16歳の少女に聖母マリアが再臨し、3歳の不具の幼児が完全に癒されるなど、数多くの奇跡が起き、1000万人以上の巡礼者がこれまで訪れているが、バチカンは「超自然現象でも、啓示でもない」との立場を取り、聖母マリアの再臨地として公式には認知していない。スロバキアのリトマノハーでも聖母マリアが2人の少女に現れ、数多くの啓示を行っているが、メジュゴリエと同様、公式には認定されていない。最近では、アイルランド西部の小さな町ノック(Knock)で聖母マリアが再現するという霊能者の予告を信じて数千人が集まったという。ノックでは1879年8月、聖母マリアが出現し、それ以来、巡礼地として多くの信者たちが毎年、訪れている。

ところで、当方は先月、イタリアの小都市ベルガモ(Bergamo)郊外にあるヨハネ23世の生家を訪れたが、多くの巡礼者の群れに出会った。ポルトガルのファテイマの聖母マリア降臨地でもそうだったが、巡礼者の中には病に悩む人、病人を抱える家族たちが奇跡を求めて巡礼地を訪ねてくる。

ヨハン23世の生家には同23世の銅像があるが、その銅像の手、唇周辺は色が剥げている。その訳を関係者に聞くと、「巡礼者たちがヨハン23世に触れば病が癒されると信じて、ヨハネ23世銅像の手や唇を触るから、そこだけ色が剥げてきたのです」という。

奇跡は聖人や福者にするためだけに生じるものではない。病に苦しむ人々も奇跡を願っている。フランス南西部の小村ルルドで1858年、聖母マリアが14歳の少女、ベルナデッタ・スビルーに顕現して今年で155周年目を迎えたが、これまでにルルドの水を飲んで6500回以上の癒しが記録されている。その内、66回はバチカン法王庁が公式に奇跡と見なしている。ルルドには毎年、約400万人が訪れる。

巡礼者には病人や老人たちが多いが、若者たちの姿も少なくない。教会関係者は「若者たちは奇跡を追体験したがっている。科学文明が席巻する今日、若者たちは奇跡に飢えている」と説明する。


編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2013年10月2日の記事を転載させていただきました。
オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。