虎のごとき苛政が復活する

アゴラ編集部

昨日10月1日、安倍首相が消費税率を2014年4月より8%へ上げることを表明しました。税制というのは、いろいろ利害が錯綜した対立する勢力の力関係の均衡の上に決まるようなところがあるわけです。霞ヶ関の財務省はずっと増税したがっていた。政治の側は2012年になって、ようやく消費税増税を決めたわけです。増税を唱えて選挙で勝てるわけもなく、数々の失政と評判の悪さがたたって民主党は惨敗し、運のいい自公政権がここにきて増税の果実と評価を拾った。


しかし「財政再建」と「社会保障制度」、そして「景気の腰折れを防ぐ」というのが「錦旗」になり、政治の場での反対勢力が無力のために政界はどうも官界と大企業を中心にした財界からの強い要請を断り切れなくなっているようです。国庫と景気を人質に取られ、財務省に屈し、財界にも屈し、というわけ。いずれにせよ、この「錦旗」の元では、とにかく「公」や大企業が優先され、あくまで庶民や個々人は後回しです。

たとえば「復興特別法人税」というのがあるんだが、もちろんその目的は東日本大震災からの復興にあてるために法人に課せられる税金です。安倍首相は、「賃上げ」を期待するとして法人減税をしつつ、さらに復興特別法人税を前倒しで廃止するつもりらしい。本来、この税は2012年4月から2015年3月末まで課税される予定でした。つまり「錦旗」には新たに「賃上げ」というお題目が加わった、というわけです。

「復興のための特別税」には、表題ブログでも紹介されているように個々人の所得税にも上乗せされるものがあり、これは25年間も続きます。さらに、住民税にも2014年6月から復興のための特別上乗せが10年間もなされる予定。復興特別所得税は基準所得税額に2.1%をかけ、住民税は都道府県税と市町村民税に合わせて年間1000円を加算する、という内容です。

復興のために余分に税金を納めるのはやぶさかではないんだが、法人への課税だけ前倒しで廃止するということはいったいどういう料簡なんでしょう。ただでさえ消費増税で国民の家計が圧迫される、というのにもかかわらず、「公」と大企業に篤く、庶民や中小企業には辛い、という自民党全盛時代の苛政が、まさか今の低成長の低賃金時代に復活するんでしょうか。悪夢の再来です。

ヌマンタの書斎
「消費税増税と復興特別法人税減税」


ビジネスが盛り上がらない東京オリンピックまでの期間
起業の目
「オリンピックの経済効果」があちこちで話題になっています。実際のところどうなんでしょう。1998年の長野五輪では、インフラ整備などでかさんだ費用で県の債務が激増。今でも財政的に逼迫し続けているようです。長野五輪の財源では、40%強を国が、長野県は約25%、残りの約30%強を長野市が出しています。もちろん、建設業界などはうるおったでしょうし、地域の活性化や都市基盤整備などは進んだでしょう。このブログでは、五輪協賛企業だけが「オリンピック」や「五輪」という言葉を使うことができるので、それ以外の企業にとって旨みはそれほどないのでは、と書いています。この権利については「商用使用」の範囲があいまいなんだが、あからさまな商行為に利用するのはNGらしい。ことほどさように、ビジネス臭が強過ぎると何にしても興ざめです。

有料アプリの時代は終わった
MACLALALA2
『艦これ』にハマってる身からすれば「絶対に課金しないぞ」という決意をもってゲームをする、という姿勢はありだと思います。ただ、楽しんでるワケだから、少しくらいは運営へ見返りを、という気持ちもないではない。そのへんを気持ち良く上手に払わせるのが「いいゲーム」なんじゃないでしょうか。『艦これ』について言えば、途中であまり資金投下しなくてもプレイできます。しかし、コレクションなので上限数の枠を増やさないとダメ。このへん、しょうがないかな、と思っている。この記事では、有料のアプリはすぐにサードパティ製の似たような無料版が出てくるのでもう有料版は終了した、と書いています。

職場を監視することは従業員の行動にどのような影響を与えるのか?
Gigazine
「監視」で有名なのはジョージ・オーウェルの小説『1984』とかレイ・ブラッドベリの『華氏451度』ですね。権力を持つ側は常に民衆を監視したがる。「鼓腹撃壌」なんてのも、しょせんは権力者が自分の「評判」を気にするところからきている。この記事では、見られていない人間は誰しも怠ける、という仮説を立証しようとする研究を紹介しています。「評判」は魚でも気にするので、社会的な生物に普遍的な一種の「情動」でしょう。だからこそ、仮に実際に監視していなくても「視線」の存在は重要です。

死んだ電池でスマホを充電、世界が泣いたうどん屋のCM、衝撃のブラ…タイの広告が熱い(動画)
GIZMODO
これが「豊かになる」ということなんでしょうか。人のこと、環境のことを思いやる。当たり前、と言えば当たり前なんだが、こういうのを見るとタイ国内の貧富の格差は次第に解消されつつあるのかな、と想像します。ずっと以前、仕事でバンコクへ行ったとき、チュラーロンコーン大学の近所だから東京で言えば本郷みたいな場所で、貧困層の少年少女の集団に囲まれ、バッグをすられたことがある。盗られたのはファイロファックスだけだったので、こづかいでももらえるかと思ったのか「そのへんで拾った」とスラっとぼけた少年が届けに来ました。ワイロをせびる「将軍」というのもいたなあ。こういうテレビCMを作ることができる、というのは、一種の社会的進歩なのかもしれません。


アゴラ編集部:石田 雅彦