大学ランクはどうやったら上げることができるのか --- 岡本 裕明

アゴラ

最近、バンクーバーで大学の校友会の集まりがありその際、大先輩から鋭く指摘されたのが「大学経営で必要なのは広く世界中から学生を集めること」でありました。少子化で大学全入時代と言われ、大学は出たけれど就職はなし、とそんな嘆き節も聞かれたわけですから大先輩がそう力説するのもよくわかります。

大学の就職率は9割越えから6割程度とする統計までさまざまでありますが、その理由は分母と分子のとり方が違っているためであります。実際は9割ということもないし、6割ということもないはずで、その間のどこか、ということだと思いますが、就職がまだ厳しいというは確かだと思います。そんな大学としては教育の質を向上させ、優秀な学生を集め、ひいては就職率を向上させるというストーリーは大学経営にはあまりにも当たり前の経営方針であります。


では、日本の大学はアメリカのアイビーリーグのような優秀で国家を背負い、新たなる創造性と開拓精神を持って世のため人のために努力するような卒業生を世界中に輩出する性格を求めているのでしょうか? 私はもっと身内で固まった巨大なクラブのようなイメージが強い気がしております。同じ大学を出たという同胞意識、仲間意識がお友達感覚として残るのでしょうか?

それ故に大学の校友会が力を入れるのはスポーツ活動が主力であります。たとえば箱根駅伝などでは出場大学の校友会支部は会員からその家族、その友人まで借り出して沿道で旗をもって応援に駆けつけるわけですがそれは一種のお祭り的な盛り上がりであります。そこで映し出されるメディアを通じた露出度が大学の知名度を上げ、志願者の増加に繋がるという大学経営者の「宣伝活動」であるとすれば日本が真の意味での知的水準のアップに伴う大学ランクアップを目指しているとは思えません。

その校友会の席で私の隣に座った高校時代のクラスメート曰く、カナダ育ちの娘が「日本の(某一流)大学で英語のクラスに入ったが、日本人のクラスメートはプレゼンテーションがぜんぜん出来ず、英語はまったくだめだった」と言っていたそうです。

結局、外国人留学生を取り込むために英語での授業をプログラムをしてもその英語のクラスについていける日本人の生徒は限定されているとすれば外国人学生を集めることは難しいのかもしれません。そもそも英語はツール以外の何者でもなく、考える力をもつ外国人学生と暗記知識に頼る日本の教育制度のなかでプレゼンテーションなどは日本人とってまったくもって未知の経験であります。日々の生活の中で常に自己主張を行っている欧米などの学生とは立ち居地がまったく違うといっても過言ではありません。

では大学の地位を向上し、ランクアップにつなげるにはどうしたらよいのでしょうか? 私は輩出した卒業生をもっと広く伝えると共にそれら優秀なる卒業生に大学のアンバサダーになってもらうことがひとつあるかと思います。

それともうひとつは校友会の大先輩も主張していましたが大学がどれだけ学問をするのに適している環境とプログラムをオファーしているかをもっと前面に押し出すべきである、としています。図書館やコンピューターへのアクセスもそうですが、著名教授の公開授業、白熱討論会、各種アワードを含め、学問をもっと推し進めたいという気にさせる魅力がほしいと思います。

教授陣と校友会の関係が薄弱であるのも改善する余地があるでしょう。

このように大学改善の為のアイディアはいくらでも沸いてくるのですが、校友会本部はそういうことにはほとんど興味がないのか、「そのとおりなんですよね、だけどなかなか難しくて…」という返事が来るのが関の山であります。

日本の大学がクラブ活動化せず、優秀な卒業生を生み出すためにいまこそ、大学の本来のあり方を問う時にあるのではないでしょうか?

今日はこのぐらいにしておきましょう。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2013年10月8日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。