コピーの日々 ~ 通過儀礼だったビートルズ --- 中村 伊知哉

アゴラ

ストロベリーフィールズ。ペニー・レイン。どちらも寂しいところでした。 シングルカットのA面とB面なんですよね。この2曲は。
 リバプール市街からクルマで10分ぐらい。訪れるのは、自分に課した長年の宿題でした。

 ビートルズを初めて意識的に聴いたのは小学校6年生。オレらちあきなおみや天地真理や森進一やなくて、泉谷しげるや岡林信康なんやで、とイキっていたら、団地の郷田くんが、お兄さんのレットイットビーとかイエスタデイとかのレコードを聴かせてイキってきたのです。すごいやんけ。そこから中2にかけてぼくは一気にグランドファンクレイルロードや荒井由美やクリーデンスクリアウォーターリバイバルやはっぴいえんどやストーンズやそうしたぐっちゃりした音楽体験に突入させられます。ツェッペリンやT-REXやドアーズやピストルズやコステロに向かうのは高校生で、その終わりにP-Modelです。大学に入るとXTCやPiLが待っていて、少年ナイフです。
 だけど郷田くんがイキって以来、ずっとビートルズは底に流れていました。中3のときイキって作ったバンドも、最初に手がけたのは赤のベスト盤のB面1曲目「HELP!」であり、オレらもうちょっと進んでええんちゃう、と手を出したのは青のベスト盤B面1曲目「Back in the USSR」でした。ソ連やウクライナがどうしたとか政治っぽいことはじゃんじぇん知りませんでしたが、やはり男はB面1曲目とイキっていたのです。今のひとにB面の何たるかは伝わらないかもしれませんが、そこはやはりB面であります。

 何とかコピーしようとしました。ビートルズのコピーバンドってどの町にも1つや2つはありますが、なぜだかコピーするのだ。お近づきになりたくなるのだ。「ハード・デイズ・ナイト」のイントロ冒頭、ジャ~ンと鳴るギターのコード音がどうしても出ない。やっとぼくも「Blackbird」が弾けるようになったよ。「Something」を歌いながらベースを弾くのは難しいなぁ。みたいな経験をするわけです。友だちの右と左の耳元でナンバーナイン、ナンバーナインとつぶやいたりするのです。野球部でグランド10周を命ぜられたらアビイ・ロードB面を頭の中でずっと鳴らしていると、「ジ・エンド」が終わって間があって、「ハー・マジェスティ」が鳴り始め、いつか女王陛下をオレのものにしてやる、などと不謹慎に歌うころにゴールです。
 例外はあります。「ヘイ・ジュード」はキラいでした。中学の完全下校、その時刻を過ぎて校内に残っていると厳罰をくらうというやつで、それは毎日、風紀委員が放送室からかけるヘイ・ジュードのシングル盤で、ララライライ・ヘイジューの繰り返し18回目でベルを鳴らし、校門がガシャンと閉まるのです。だからララライライが聞こえると、今もお尻がムズムズし気ぜわしいのです。飲酒がバレて丸坊主にさせられたのに、さらなるペナルティー的に風紀委員にさせられたぼくは、完全下校の当番ではララライライ12回目ぐらいでベルを鳴らしてやり全校をパニックに陥れてやりましたよ。ざまあみやがれ。今そんなことしたら校則違反の持ち込みスマホに撮られて炎上でしょう。藤崎マーケットのラララライ体操がムズムズするのもそのせいです。

「ペニー・レイン」と「ストロベリーフィールズフォーエバー」はコピーからは遠かった。ペニー・レインは間奏のピッコロトランペットがなければペニー・レインたり得ないし、ストロベリーフィールズフォーエバーはあのうるさいオーケストラの伴奏がなければ世紀の名曲と思いつつも、あのうるさいオーケストラがなければストロベリーフィールズフォーエバーたり得ない。だって、誠実にコピーしようと思っていたわけですから。
 そういう意味ではビートルズは古典、誠実になぞるべきクラシックなのです。ぼくにとっては。ストーンズやツェッペリンもやりましたが、誠実になぞろうとは思いませんでした。コピーじゃなくて、敬意を表して演奏してみる、ってかんじ。なぜなんだろう。ぼくらだけ?みんなは、違いますかね? ギタリストはキース・リチャーズやジミー・ペイジになりきってしまうのですが、バンドとしてはコピーっつうことにはならない。
 泉谷しげるやら岡林信康やらもやってみたけど、コピーじゃない。演奏、であります。中学の音楽の授業で、みんなの前で何か出し物をやる試験が毎年行われ、ぼくは岡林信康の「ガイコツの唄」や「おまわりさんに捧げる歌」なんて問題のある歌をウクレレでやったりしました。ある時は「ヘライデ」というライブLPに収められていた曲、ミチコ妃殿下がトイレにいるとき皇太子殿下がこういった・そんなに腹の具合でも・ヒデンカ、などという不謹慎な歌をやり、それでも音楽は5でしたが、その曲はその後CD化に当たって削除されたそうです。

 ビートルズは通過儀礼です。入口に立った子どもが大人になるのに、中学生がくぐるべきでっかい門です。子供服ばかり着ていたのがスーツに袖を通す前の「詰めエリ」です。なんか違うな。ハンバーグばかり食っていたのがレバ刺しの旨さに目覚める前の「骨付きカルビ」です。違うな。コーラばかり飲んでいたのがボウモアに移る前の「ALEビール」です。リバプールだけに。 あかん酒飲んでバレて丸坊主にされて風紀委員にされてしまった中学生を思い出した。
 普段ぼくは創造性 創造性と言いつのり、コピーは視野の外です。驚異的な演奏を見せつけられても、そこに創作がなければ関心がわかないタチです。でも、面倒くさいので普段は言ってはいませんけど、当然ながら、鍛錬は必要です。創造にたどりつくまでに、必要な習作、必要な走り込みはあるわけで、ポップスの場合、ビートルズという定食があったわけです。ぼくらのときは。少し前の世代だとベンチャーズですが。
 今どうなんだろう。ぼくが最初にギターを買ったのは「けいおん!」の平沢唯がギブソンのレスポールを買った京都・十字屋ですが、そういう今ギターを持ち始めた子たちが必ず通過する定番バンドってあるんですかね。みんな何をコピーしているかな。迷うなら、少年ナイフにしておくといいよ。  ところで「けいおん!」の主人公はみんなP-MODELの苗字なんですね。

にしても、ペニー・レインは商売っけがない。ペニー・レイン通りもあるし、角っこの銀行も残ってるし、歌詞の世界はそのままあるんですけどね、な~んにもないんです。垂れ幕もみやげ屋も。これが境港ならジョンじじいやポールばばあの像が置かれるでしょうし、彦根や熊本のようにジョージにゃんやリンゴもんをプロデュースすることもできましょう。せめてペニーまんじゅうやレインTシャツが売られていても不思議じゃない。
 だけど、そこがあのペニー・レインであることは、道路標識を見つけないとわからず、行き交う人も、そこの写真撮ってるぼくをいぶかしく見てるんですよね。ホンマもんってのはそういうもんなんですかね。地元はもうしっかりと地元の誇りを内側に刻んでいるから、田舎もんに荒らされないようにしてるんですかね。
 そうか。ここを訪れるのは、50を過ぎた音楽小僧の、通過儀礼だったんだ。
 ペニー・レインを聴いていたころから40年近くを経たぼくは、リバプールからペニー・レインを通過して、バーミンガムに向かいました。


編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2013年10月28日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。