「在日特権を許さない市民の会」(在特会)の街宣活動や、それに対する作家の竹田恒泰氏がTV番組で行った発言が問題になったりしています。
それらについて、在日特権は本当に存在するのか?どんな問題があるのか考えてみたい。
■竹田氏の発言と謝罪
件の竹田氏が行ったTV番組の発言は、番組内で一応の謝罪はなされました(リンクの通り)。
謝罪の内容というのは、通名(通称名)を変えることで犯罪歴は消えることはない。しかし、通名を変えられると、警察や自治体の一部の人以外は経歴を辿ることは不可能。という意味のことを言いたかったが、あたかも、「完全に犯罪歴が消える」かのように受け取られかねない。と言うことで、本質的な部分についての謝罪も釈明もありません。
ご本人も「間違っていない」という認識のようです。
私もそう思う一人です。
そもそも論で、「在日特権」というのは明確に定義されたものではなく、所謂「在日(在日韓国・朝鮮人特別永住者)」を批判的に論じるときに使われます。
一般的に言われる在日特権の具体例は、ここに書かれているようなもので、この定義であれば確かに「特権」と呼べるでしょう。
■実際に犯罪は起きている
外国人が日本で名乗る通称を悪用して携帯電話を不正売買したとして、埼玉県警組織犯罪対策課と大宮西署は1日、組織犯罪処罰法違反(隠匿)と詐欺容疑で、韓国籍の無職、文炳洙(ぶんへいしゅ)容疑者(通称・青山星心(しょうご))=別の同容疑で処分保留、さいたま市西区清河寺=を再逮捕した。通称を悪用した犯行を組織犯罪処罰法で立件するのは全国初という。
同課の調べでは、文容疑者は区役所で短期間に通称登録を何度も変更。新旧の通称を使い分け、平成22年10月以降、約160台のスマートフォンやタブレットなどの端末を購入、古物商へ転売したとみられる。
再逮捕容疑は8月7日、「青山星心」の通称で、さいたま市の家電量販店でスマートフォン2台を詐取。過去の通称だった「清永泰斗」を名乗り東京都内の古物商で転売し、約7万2千円を得たなどとしている。
同課によると、文容疑者は端末代を分割して月々の料金に上乗せする制度で端末を購入したが、支払いは一切せずそのまま転売。同課の調べに「料金を踏み倒す気はなかった」と犯意を否認する一方、売却で得た金は競馬などのギャンブルに使ったという。
頻繁に通称変更することを不審に思った区役所の届け出を受けて捜査したところ、犯行が発覚した。文容疑者は通称の違う複数の身分証を使い分け、売買を重ねていた。
現在でも、実際に犯罪に利用されています。
竹田氏が仰るとおり、何度も通名を変更することで、割賦購入の際の審査をすり抜け、転売も行えているわけです。竹田氏が言いたかったことは上記のような犯罪を指すと私は思いますし、3年間で160台を転売するのにいくつの通名を使い分けたのかは分かりませんが、区役所の担当者が不審に思うほどの回数、通名を変更していたのは紛れもない事実でしょう。
更に、この記事の問題は他にもあります。
恐らく「警察発表のまま」でしょう。
→ 独占スクープではなく、他紙の記者も知っているが報道してない。
再逮捕で始めて報道
→ 通名を使って転売しただけではニュースバリューはない。
1名の犯罪で「組織犯罪処罰法」の適用が可能なのか?
私には分かりません。
そういう特異な事情があったから、ニュースバリューを得たと取れるわけです。
竹田氏は「在日特権」について地上波で放送されることはほとんどない。と仰っていますが、この記事一つを見ても、「ニュースバリューがないほど起きている」または、「抗議が来るので報道できない」というのは、穿った見方とも言えないのでは?
更に穿った見方をすれば、この記事も非常に気を遣っているようにも読めます。
実際に
「通称を悪用した犯行を組織犯罪処罰法で立件するのは全国初という。」
というところを、「通称を悪用した犯行の立件が全国初」と誤読していた人が居ましたが、敢えて誤読を誘う書き方をしているのではないか?とすら思えます。
■もう在日(特別永住外国人)なんてなくした方が良い
在日特権の定義次第ですが、上の様な犯罪をし易いことを言うならば、在日特権は現実に存在するのです。それについて、報道されにくい(程度問題は微妙で立証は難しいですが)のも事実でしょう。
しかし、当たり前の話ですが、特権があったとしても、ほとんどの(在日の)人は利用することはありません。ほとんどの(在日の)人にとって、所謂在日特権なんて関係ないはずです。
それでも、現実問題として在日特有の犯罪があるのですから、それを憎む人が出ることは決しておかしいことではないのでは?それなのに、NPO法人などが、頑なに、強行に「在日特権などない!」と否定すると、反動として在特会のような馬鹿者も出てくるのも、自然の流れと言えるでしょう。
そんなくだらないことで、いつまでもいがみ合うのは馬鹿らしいのではないでしょうか。
解決策は、帰化を推進することではないでしょうか。
在日一世は既に現役を退いた世代です。もちろん、在日一世には抜き差しならない様々な問題があったでしょうが、もう、過去の話と言って良いでしょう。今更、どうにもできません。
現在から未来の話をするなら、子供は親を選ぶことはできませんから、二世以降は、本人が在日であることを選んだ訳でもなんでもない。本人にはどうすることもできなかった問題です。
更に、二世以降の在日の方が、韓国・朝鮮に帰って暮らすのが非常に難しいのは明らかでしょう。であるならば、日本に帰化することを検討して貰うべきでは?
具体的には、一定期間、特別永住者の帰化の手続きを大幅に簡略化することです。
在日の問題はどうしても貧困の問題が絡みますが、現在の帰化の要件は非常に厳しく膨大な書類を用意した上で、半年以上の期間が掛かります。素人が独自に資料を用意するのは非常に難しく、専門家に頼むことになりますが、費用は10数万~50万円近く掛かります。貧困問題が取りざたされる人にとって、これは大変高いハードルなのです。
(私がそうなら、半年、数十万円は諦めるに充分なハードルです)
特権があることは良くないですが、「特権は許さない」というだけではアンフェアです。
もちろん、自分のアイデンティティは朝鮮半島にある。日本人になることなんて嫌だ!と言う人もいるでしょう。であるならば、特別永住外国人(所謂在日)ではなく、普通の永住外国人(一般永住者)で問題ないはず。
いつまでも特別視するのも、これまた、おかしな話ではないでしょうか。
■観念的な差別を言ったら永久に解決しない
余談ですが、制度的な差別は1970~80年代にはほぼなくなりましたが、「観念的な差別が残っている!」と市民活動家や朝日新聞などを中心とした活動はなくなっていません。
逆に、その活動が「差別」がなくならない一つの理由です。
「観念的な差別」というのは、突き詰めれば「好き嫌い」の問題で、なくなることはないのです。
例えば、私は大阪で生まれ育ちました。それで東京で生まれ育った人からは、「大阪の人はズケズケと入って来る、がさつで嫌い」などと言われたりすることは一度や二度ではありません。当然、ムカッとしますし、ステレオタイプの知的でない決めつけと思いますが、現実問題、典型的な東京の人とは、典型的な大阪の人(私のことです)とは合いませんから、仕方のないことなのです。
それを公然と言われても、「差別」とは感じないのは、相手を対等だと思っているからです。
では、「在日の人は嫌い」はどうでしょう。
「そんな差別的なことは言えない」と感じてしまう人は、「在日の人は差別されるべき、一段下の人」と心の底で思っている証拠です。
「観念的な差別」つまり、好き嫌いはなくなりません。
それを「差別」と糾弾すると、在日の人達は、一段下の存在に置かれたままになります。
ステレオタイプで知的ではないですが、別に「在日の人は嫌い」と思ったって良い。それを「差別だ!」と言う人達が差別を作って、差別を固定化しているのです。
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生島 勘富
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