「巨大な幼児」中国はどこへ行くのか - 『現代中国の父 鄧小平』

池田 信夫

現代中国の父 鄧小平

エズラ・F・ヴォーゲル
日本経済新聞出版社
★★★★☆

鄧小平は「改革開放」の指導者として知られているが、他方では天安門事件を弾圧し、共産党支配を守った権力者でもある。この矛盾する側面を、本書は彼の生い立ちにさかのぼって詳細に検討している。

毛沢東の下で「大躍進」に加担し、文化大革命で失脚し、毛の死後に激しい権力闘争で復権した鄧は、中国を統合しているのは共産党という「皇帝」の権威だけであることを知っていた。その求心力が失われると、清朝の崩壊以後、半世紀近く続いた大混乱が再燃することを彼は恐れ、その権威を維持する方法として経済成長を最優先したのだ。

これが1989年以降の社会主義崩壊ドミノの中で、中国だけがその連鎖を断ち切れた原因だ。天安門事件が起こったとき、中国でも東欧諸国のような政権の崩壊が起こると予想されたが、結果的には人民解放軍がデモ隊を殺傷して改革を抑え込んだ。鄧はその責任者として趙紫陽を更迭する一方、改革開放を止めようとする保守派とも闘った。

このような政経分離が鄧の戦略である。ソ連や東欧の社会主義が崩壊したのは、国民に豊かさを与えられなかったためだ。それに対して中国が手本にしたのは、明治期の日本だった。大日本帝国は民主国家ではなかったが、西洋文明を丸ごと輸入して高い経済成長を実現し、豊かになった国民は政府を支持した。鄧が政権を掌握して最初にやったのも、欧米に「岩倉使節団」のような視察団を大量に送ることだった。

この戦略は、共産党支配の維持にとってはきわめて有効だった。腐敗や検閲が残っていても、自分の生活が豊かになれば国民は政府を倒そうとは思わない。天安門事件以後の混乱の中で、保守派が社会主義に回帰しようとしたのに対して鄧は徹底的に反対し、南巡講話で改革開放の方針が不変であることを世界にアピールした。

鄧にとっては一貫して経済は手段であり、目的は国家の維持だった。これは2~300年も一つの王朝が続く中国の伝統の中では賢明な選択だったかもしれないが、今や中国は世界を支配する「帝国」ではない。経済成長が止まったとき、ソ連や東欧のような状況になることは十分考えられる。巨大化した体(経済)と未発達な頭(政治)を分離する鄧の路線が行き詰まるのは時間の問題だ。

本書もいうように、鄧の強い指導力は毛支配下の大混乱から脱却したいという指導部内のコンセンサスの「まとめ役」になったためだった。次の危機に際して、そういう合意が形成されて鄧のような実力者が現れることは期待しにくい。

政治と経済に大きなゆがみを抱えた「巨大な幼児」中国は、日本にとって最大の脅威だ。訳本で上下巻1100ページを超える本書は、やや鄧に甘い記述が気になるが、中国を理解し、その今後を考えるための必読書である。