ドイツは来年2014年、3つの大きな歴史的節目の年を迎える。一つは第一次世界大戦勃発100年目だ。1914年、オーストリアの皇太子がサラエボで暗殺されたことがきっかけで第一次世界大戦が始まった。1939年にはナチス・ドイツ軍のポーランド侵入で第二次世界大戦が始まったが、来年で75年目の節目を迎える。最後に、東西冷戦時代の終焉を告げた「ベルリンの壁」崩壊(1989年11月)25年目だ。ドイツでは来年、「100年」「75年」そして「25年」という3つの歴史の節目が待っているのだ。
▲ベルリン市のブランデンブルク門(2011月5月、撮影)
独週刊誌シュピーゲル電子版(10日付)によると、ドイツでは来年、3つの歴史的節目の年をどのように迎えるかで外務省を中心にその準備に入っているという。ただし、自由党のヴェスターヴェレ外相の後釜がまだ決まっていないため、その準備は遅々としているのは致し方がないだろう。
歴史の節目の年をどのように迎えるかはその関係国がその出来事にどのように関わってきたかで当然異なる。「歴史は民族の数ほどある」といわれる所以だ。第二次世界大戦はナチス・ドイツ軍のポーランド襲撃で始まり、人類史上最悪のユダヤ人虐殺が行われた。ドイツ側は民族史の汚点として、犠牲者へ謝罪と追悼を改めて表明する年となるだろう。ちなみに、第6代連邦大統領(1984年~94年)を務めたリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー氏はナチス・ドイツの「第3帝国」の罪を正式に認めている。
一方、冷戦終焉を告げたベルリンの壁の崩壊(1989年11月10日)は、コール政権(当時)の外交勝利であり、東西両ドイツの再統一という歴史的な偉業をもたらした。統一ドイツは依然、再統一の財政負担を担っているが、ドイツ民族の念願が成就した出来事であり、国民もその祝賀に異存がないところだろう。
ちなみに、両ドイツの再統一実現の背後には、コール首相とミッテラン仏大統領(当時)両首脳の個人的友好関係があったことは周知のことだ。東西両ドイツの再統一へのフランス側の懸念を払拭するためにコール首相は精力を投入した。
1914年の第一次世界大戦勃発に対しては、独外務省では100年追悼イベントを開催する必要がないという声が案外強い(シュピーゲル誌)。セルビア民族主義者がサラエボでオーストリア皇太子フェルデイナント大公を射殺したことを契機に、3国同盟(ドイツ、オーストリア、イタリア)と3国協商(イギリス、フランス、ロシア)間で戦争が勃発した。英国が参戦してドイツは敗北を喫し、翌年パリ講和会議でベルサイユ条約が締結された。フランスは来年、第一次世界大戦勃発100年目を大々的に追悼する計画を立てている。消極的なドイツとは好対照だ。
ドイツだけではないが、歴史は戦争と紛争の連続だ。その歴史的節目を迎える度に、人々は謝罪と再出発の決意を固めるが、時間が経過すると同じような蛮行を繰り返してきた。世界の人々が共に喜び祝うことができる歴史的節目は少ない。
イエスの生誕の日(クリスマス)が近づいてきたが、われわれはそのキリストすら殺害したのだ。日韓両国は「正しい歴史認識」問題で対立しているが、両民族が共に喜びあうことができる祝日をいつ迎えるだろうか。
編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2013年11月12日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。