敢えてリフレ擁護論-(不動産ウォッチャーの戯言)

伊東 良平

「アベノミクス」は成功した。内容の問題ではない。その用語が定着した時点で政治家のメッセージとしては既に成功している。

以下は、日頃から不動産を見る仕事をしている一個人の戯言であるが、しばらくお付き合いいただきたい。

リフレ(reflation、「通貨再膨張」?)の政策的効果は、経済学的観点からすると何の意味もなく、むしろ有害であるが、政治学として見ると、ある種の効果がある。それは、立場により、幸福感のある人と苦悩を増す人との差を、政策的に作り出すことである。

インフレで喜ぶのは誰だろうか。インフレによる貨幣錯覚を歓迎するのは、企業であれば営業部門がある。経済全体の物価が全体に押し上げられれば、企業の名目上の売上高は増加する。営業部門は売上目標を持って仕事をしているから、物価全体が上昇すれば営業部門のノルマは実質的に軽くなる。企業の仕入価格も上昇し企業業績に悪影響がある場合でも、営業部門は売上が増えれば利益が減ることの責任を購買部門に転稼できる。物価指数に連動して売上目標を変えるような”柔軟な”経営をしている企業を筆者は知らないし、デフレにより物価指数が下がっても、それに連動して売上目標を軽くするような企業も聞いたことがない。その意味でインフレは、企業内で営業部門に勤める人の精神的負担を相対的に軽くする。企業内での力関係が、購買・経営管理部門から、営業部門にシフトすることを意味する。これは、企業全体でみれば何らの効果はないが、仕事に対する人々の意識(どんな仕事をしたいか)を変えて行くだろう。

銀行などの金融機関/金融業界にいる人の、部門ごとの力関係も変えるだろう。資産デフレが生じている局面では、金融機関内で審査部門が力を持ち、営業店は幾ら顧客を発掘しても、審査で覆されることが多くなる。資産デフレの局面では、営業店は「如何に審査を通すか」ばかりを考えてしまう。しかし資産価格が上昇している局面では、顧客の良さを説明できれば、担保価値の棄損に気を使う必要はない。どのような担保を取ったのかを書類上明確に説明できれば、あとは顧客に足しげく通って借入と返済をくりかえさせ、金利という利益を積み上げればよい。

政府ではどのようなことが言えるか。まず、インフレにより通貨価値が下がれば、公債の償還に追われる財政部門は歓迎するだろう。国ならば財務省が歓迎する。一方、インフレに連動した社会保障給付や医療・介護などの社会保障費の負担が増す福祉部門は、インフレを歓迎しないだろう。国ならば厚生労働省が嫌う。他の省庁も、公共事業費や補助金の増額を業界から求められる立場にあれば、インフレを嫌うだろう。インフレにより公務員の実質給与が下がることを懸念することも予測される。その意味でインフレは、財務省や地方自治体の財政部門の力を相対的に強め、財政職員の心理的負担を和らげる効果がある。

そもそも資産インフレは何を起こすか。これから起こるインフレは高度成長期のインフレと異なり金利上昇を伴うから、大幅な資産インフレは起こらないだろうが、仮に資産インフレが起これば、「地主」や「株主」は確実に得をする。田畑を耕して生計を立てる気のない兼業農家や、ローソク足を眺めキーボードを叩いて稼ぐデイトレーダーは大歓迎だ。一方で、都市部の高い家賃を負担し続けなければならない勤労者や、仕事のために田舎から都会へ転居しようとする若年層の苦痛は増す。

このように、インフレは経済全体では何の効果もなく、「庶民」を苦しめることになるかもしれないが、インフレにより楽になる立場の人は必ずいることから、リフレに社会的「効果」がなくはない。政策的に資産保有者を支援することで、ある種の「身分制度」を守ることは、それなりに意味があるだろう。少なくとも特定の政治家にとっては。「いやなら選挙で下してみろ」これがリフレを主張する政治家のみなさんの本音であろう。

結局のところ、インフレとデフレのどちらが望ましいか、という疑問は、躁病と鬱病のどちらがより健康か、という質問と似たようなものだ。どちらも不健康であることに変わりはないが、躁病のほうが本人は楽かもしれない。「麻薬中毒の苦しみから解放される最も早い方法は、麻薬を吸うことである。矛盾だ。」これはチャーリーパーカーの生涯を描いた映画の中でのセリフである。確かにその通りかもしれない。それが持続可能なら。

伊東 良平
不動産鑑定士