「『JAP』は差別用語? 単なる略称? 海外で話題に」と題するNewSphereのブロゴス記事を読んだ。
アメリカ最大手ソーシャルニュースサイトかどうか知らないが「レディット」なる物が「JAPは差別用語なのか? それとも単なる略称なのか?」等と下らぬ事を書き、「JAP」が単なる略称だと言う印象を与えるとしたら、曲学阿世のたわ言としか言い様がない。
ここまで書いて、なにはさておき。著者のNewSphereに罵詈雑言を浴びせた非礼をお詫びします。
私がこの記事の冒頭から「はしたない」言葉を使ったのは、「JAP」の語源に遡り必ずしも「差別用語」とは限らないと言う疑念を挟む事は、「間抜け」と呼んでから、その語源を紐解き「元々テンポの合わない」事を意味するだけで罵倒する意味ではないと解説するくらい下らないと強調したかった為です。
「JAP」が米国に限らず、国際的にも「蔑称」と見られている事には疑念の余地はありません。
その証拠に、2003年の国連総会で日本の本村国連次席代表が朝鮮民主主義人民共和國(DPRK)を正式国名ではなく「北朝鮮」と呼んだ事に反発した北朝鮮の金国連次席代表が、日本を三回に亘り「JAP」と呼んで非難した事に対して議長が、「国連の品位と尊厳を傷つける言葉の使用は謹んで欲しい」と言う前例の無い警告を発した事でも明らかです。
米国では1973年に「JAP」を巡って、全米を揺るがす事件が起きています。
ウォーターゲート事件の上院聴聞会で、ダニエル・イノウエ上院議員がアーリックマン・ニクソン大統領補佐官への尋問を終った後、マイクを切りり忘れ「何たる嘘つきだ」と漏らした独り言が会場に流れ、それを聴いたアーリックマン補佐官の弁護士が「あのちびのJAP」と呼び、翌日の聴聞会で与野党を超えた全委員からイノウエ擁護、ウイルソン弁護士非難の演説が続いた事件です。
このエピソードでもお判りの通り、当時から日系人を含む日本人への蔑称と見做された「JAP」には、米国世論は大変敏感でした。
「JAP」は「昔は蔑称だったんだろうけど、だんだんその意味が薄らいでいるのでは?」という意見があるとのことですが、スキンヘッドなどの人種差別主義者の動向に神経質な欧米の傾向はその逆で、JAPに限らず人種的な蔑称への目はますます厳しくなりつつあります。
言葉は生き物で、時代と共にその意味も変遷します。その典型的な例が「アメリカの黒人」の呼称です。
奴隷解放以前や最初から黒人蔑称であった「ニガー」は別として、アメリカの黒人の呼称はニグロ/カラード・ブラック・アフリカンアメリカンと変遷し、現在では「アフリカン・アメリカン」で落ち着いています。
中でもニグロとカラード という言葉は、それ自体が差別用語に近似する言葉と見做され、現在では公式の場は勿論一般的にも死語となりつつあります。
例外としては、長い歴史を持つ黒人団体である全米黒人地位向上協会( National Association for the Advancement of Colored People, NAACP)や黒人大学連合基金( United Negro College Fund)は現在でも名称を変更しておらず、だからと言って「自虐的」とも思われてもいない事は興味深い事例です。
「悲しいのは傷つく人が大勢いるとわかっているのに『傷つくのがおかしい』なんて言い分は通らない。言葉の裏にある歴史に対して無神経すぎる」と言うNewSphereが出した結論は全くその通りで、国際センスに欠け、唯我独尊の傾向の強い石原慎太郎氏が「シナ」を繰り返す事への強烈な皮肉だとも受け取れました。
このように、「蔑称」の取り扱いは文面に相当気をつけても大きな騒動につながる事が多く、使用する価値は殆どありません。
2013年11月17日
北村隆司