世界に12億人の信者を有するローマ・カトリック教会の総本山、バチカン法王庁の中でも最も権威的な機関は教理省だ。教理省の前身は異端裁判所と呼ばれ、信者たちからも恐れられてきた。カトリック教理に反する言動に対して睨みを利かす機関だ。前法王べネディクト16世が在位中、保守的なイメージから抜けきれなかった理由は、同法王が長い期間、教理省長官(ラッツィンガー枢機卿)を務めてきたからだ。教理省長官は“教理の番人”ともいわれる。だから、リベラル派の聖職者や信者からは保守派代表と受け取られても仕方がなかったわけだ。
前口上が長くなったが、教理省長官のゲルハルト・ルードヴィヒ・ミュラー大司教は先日、ドイツ教会司教会議議長ロベルト・ツォリチィ大司教と27教区の司教たちに書簡を送付し、フライブルク大司教区が先月、離婚者、再婚者への聖体拝領を一定の条件下で認める方針を下したことに対して、「夫婦は永遠に離れてはならないというカトリック教義とは一致しない」と指摘し、批判していたことが明らかになった。
同長官は「問題が多い。実際、ヨハネ・パウロ2世(在位1978年~2005年)やべネディクト16世(在位05年4月~13年2月)は公認していない。フライブルク大司教区の行動はドイツ教会だけではなく、世界の教会と信者たちに混乱をもたらしている」と指摘している。ちなみに、同長官はドイツのレーゲンスブルク教区出身の聖職者だ。すなわち、ドイツ人長官が出身教区の対応を批判しているわけだ。ミューラー長官は「フランシスコ法王とこの問題で協議し、その内容は10月23日のバチカン日刊紙オッセルパトーレ・ロマーノの中で公表した」と説明している。
バチカン教理省の批判に対し、独ミュンヘン・フライブルク大司教区のマルクス枢機卿は「教理省長官は再婚離婚者への教会の対応について教会内の議論を閉じてはならない」と指摘し、再婚離婚者へのサクラメントの是非は別として、議論に対してはオープンな姿勢を求めている。ちなみに、3組に1組以上のカップルが離婚するドイツでは、離婚者、再婚者への聖体拝領禁止は教会の信者離れを加速することは必至だ。
現実の教会の姿を見てみよう。既婚聖職者が礼拝の主礼を務め、信者への牧会を担当、離婚・再婚者が聖体拝領を受ける──これはローマ・カトリック教会の「現実」だ。一方、聖職者の独身制に固守し、離婚・再婚者への聖体拝領は認めない──これがバチカンの「建前」だ。だから、聖職者の中から建前と現実を一致させようとする動きが出てくるわけだ。
教会の「建前」と「現実」を限りなく一致させようとする運動が世界の教会内で現在進行中の刷新運動だ。例えば、ヘルムート・シューラー神父らを中心に300人以上の神父たちが聖職者の独身制の廃止、女性聖職者の任命、離婚・再婚者の聖体拝領許可など7項目を要求、教会指導部への不従順を呼びかけている。
もし「現実」が正しいのならば、バチカンの「建前」を修正しなければならないが、イエスの弟子ペテロの流れを継承するバチカンは2000年の歴史を誇る。簡単には改革できない。というより、古い伝統が重荷となって、身動きが取れない、といったほうが当たっているかもしれない。
バチカンと教会の前には2つの選択肢しかないが、前者は両者の一つを選択することに躊躇している。存在する「現実」を黙認しながら、その「現実」は教会の「建前」に反すると主張するのならば、それは明らかに「矛盾」している。いつ暴発する分からない爆弾を抱えているような状況ではないか。
編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2013年11月19日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。