朝日新聞の言論統制と電波利権

池田 信夫

秘密保護法が成立してからも、朝日新聞は「治安維持法によって朝日新聞もNHKラジオも国策の宣伝マシンになり果てた」と嘘をついている。朝日新聞に治安維持法が適用されたことはない。彼らは自発的に競って戦争をあおったからだ。

本書は、内閣情報局の情報官として検閲に権力をふるって恐れられた陸軍の鈴木庫三少佐の日記から、当時の言論統制の具体的な状況を明らかにしたものだ。彼の担当は雑誌だったので、朝日新聞社が出てくる部分は出版に関するものだが、「戦争グラビア雑誌」になっていた『朝日グラフ』は、鈴木に執筆依頼を繰り返して彼を辟易させた。


朝日の編集者は配給制だった用紙の獲得のため、軍関係者を毎晩のように接待した。宴会ぎらいの鈴木に対しては「紙の戦争」に勝つため、彼の著書を出版するという「名案」が出された。そして『世界再建と国防国家』という鈴木の著書を朝日新聞社が出版し、盛大な出版祝賀会を開いたのだ。


鈴木庫三著『世界再建と国防国家』朝日新聞社刊(1940)

こういう朝日のやり方をみて連想するのは、テレビ朝日をつくったときの経緯だ。JBpressにも書いたように、朝日は教育局だったNETを乗っ取って「テレビ朝日」と改称し、田中角栄に株式交換させて大阪の朝日放送を系列化した。その後は系列局を増やすために「波取り記者」を郵政省に常駐させ、電波利権を獲得する激しいロビー活動を続けた。

このとき朝日には、田中に対して賄賂を贈る有力な方法があった。田中の(政界でも有名だった)金銭スキャンダルを書かないことだ。社会部長が、政治がらみの記事には目を光らせた。のちに立花隆氏が書くまで、新聞社はまったく田中の「金脈」を報じなかった。それは田中が首相就任直後に軽井沢の別荘に番記者を集めて、電波利権にからめて「つまらんネタを追いかけるのはやめろ」と恫喝したからだ。

このように言論統制は「軍が治安維持法で新聞を弾圧した」のではなく、今の記者クラブのような癒着の中で、メディアの側から進んで協力する形で行なわれたのだ。だから危険なのは秘密保護法ではなく、彼らが紙面を私物化して法案反対の大キャンペーンを続けたことだ。

そういうキャンペーンにだまされて「秘密保護法はナチスの全権委任法と同じだ」などという声明を発表する「学者」が3000人以上もいることも脅威だ。全メディアが大合唱すれば、国民をだますことは可能だ。朝日新聞は国家権力に反対しているような顔をして、裏では国家と手を組んでいる――それが言論統制の歴史から読者の学ぶべき教訓である。