衰退しない大英帝国

池田 信夫

日本経済の中心がフローからストックに変わったという事実は、ほとんどの人が気づいていないが、おそらく今後の日本経済だけでなく、人々の生活を大きく変えるだろう。その先輩がイギリスだった。


一般には、大英帝国の繁栄は19世紀末に頂点に達し、その後は衰退してきたと考えられている。その原因は保守的な貴族が既得権を守って、新興の産業資本家の活躍を妨害してきたからだ、というのがよくある「文化批判」だが、ルービンステインはそれに反論し、「大英帝国は衰退していない」という。

イギリスが繁栄した原因は18世紀の「産業革命」ではなく、16世紀以降のジェントルマン資本主義だった。いちはやく新大陸に入植して大規模なプランテーションを行ない、奴隷貿易で富を蓄積した大英帝国が産業革命を生んだのであって、その逆ではない。ジェントルマンは大土地所有などの既得権を守ったが、国王に対抗して権利を守った彼らの存在が法の支配を生み、大英帝国の基礎になったのだ。

ジェントルマンは実利的なビジネスをきらうので、20世紀後半まで、オクスフォードやケンブリッジには工学部もビジネス・スクールもなかった。このような保守的な文化がイギリスの衰退の原因だという「文化批判」は、古い工業化社会のイデオロギーにとらわれている。イギリスの中心は昔も今も金融・商業などのサービス業であり、ロンドンは「ポスト工業化社会」の世界的中心なのだ。

フローで見るとイギリスの成長率は低いが、ストックで見ると大きい。ちょっと古い統計で恐縮だが、次の図のように2005年の日本の対外資産(グロス)はGDPの100%だが、イギリスは400%ある。負債も415%あるが、バランスシートの規模は日本の4倍である。イギリスの経常収支も赤字だが、問題は経常収支の帳尻ではなく、利用できる資産の規模である。4倍借金して4倍投資する社会のほうが豊かなのだ。


日英の対外資産と負債のGDP比(%)

イギリス人は巨大な資産を最高のリターンで運用した。彼らは戦争に投資し、植民地から収奪したのだ。この意味で、ピーク時にはGDPの2倍を超えた公的資本が大英帝国の一世一代のギャンブルであり、彼らはそれに見事に勝ったのだ、とPikettyは論じている。

しかし19世紀末以降の「帝国主義」の時代に大英帝国が世界を制覇したころから収益率は悪化し、二度の大戦で植民地を奪われた。それでもイギリスは資産大国であり、人々の絶対的な生活水準は高い。ロンドン証券取引所の時価総額は(NYSEとNASDAQに次いで)世界第3位であり、市街には美しい石造りの建物が並び、広い道路が整然と走っている。狭い道路の傍に雑然とビルの並ぶ東京と比べれば、都市としての完成度の違いは明らかだ。

よくも悪くも、これが資本主義である。イギリス人にとって人生は手段ではなく目的だから、彼らは工学や経営学には興味をもたないが、自然科学の水準は世界最高だ。ロンドンでは一流のオーケストラが毎日コンサートを開き、大英博物館に入ると、彼らが世界各地から掠奪した富の大きさに圧倒される。日本はまだ駆け出しだが、今のうちに文化や人的資本に投資しないと、ただの貧乏な国に戻ってしまうだろう。