商船三井が所有する鉄鉱石運搬船が中国に差し押さえられました。当初の日本側の報道では戦時賠償を匂わすトーンでしたが、実際には朝日新聞にあるように商業ベースでの裁判所の判断だとすればコトは厄介かもしれません。
日中戦争の頃、上海の船会社が日本の大同海運に船二艘を貸し出し、それを日本海軍に転貸、その後、戦争で沈没しました。上海の船会社はこの損失、および金利の請求を行い、中国の裁判所で大同海運を吸収合併した商船三井に29億円の支払いを命じました。が、商船三井側は原告と調停中であったとされますが、その間になぜか、差し押さえが発生したようです。
正直、このニュースを聞き、案外、微妙な案件かと感じています。原告、被告双方の詳細の言い分が分かりませんが、仮に原告があくまでも商業ベースで船を貸し出したと主張する場合、そこに賃貸借関係が生じたとみられます。大同海運(商船三井)がさらにそれを日本軍に「また貸し」した、と主張するには商船三井は戦時徴用だったと主張する明白な証拠が必要となるでしょう。
問題はこの船が貸し出されたのが1936年であり、一般に言う日中戦争の一年前に起きている事件であります。仮に法的に定義づけられる戦争状態の場合には状況が違う可能性があるのですが、その前の年の貸借上の問題だったということがややっこしくしているかもしれません。さらには日本における当時の戦時徴用は1938年の国家総動員法、39年の国民徴用令なのですが、36年時点では日本国内にも徴用が明文化された状態にはなかったことになります。
もう一方で原告が訴えたのが1988年とされています。1936年のクレームに対して52年も経った訴えが有効か、という論点はあろうかと思います。この取得時効については日本の場合、自主占有(所有の意思をもった占有であること)ある必要があるのですが、大同海運は海軍にまた貸ししていますから他主占有となり時効が成立しなかったのかもしれません。
つまり、この裁判、商船三井にとっては吸収合併した大同海運の「お荷物」だった可能性もあり、日本を代表する海運会社であればその裁判の行方についてのあらかたの想定は分かっていたと思います。ただ、世論に対して「戦時徴用」という言葉を差し向けると政府を含めたバックアップをもって戦えるのではないかと期待したのかもしれませんが、私が仮にこの立場であればこの裁判は端から戦わなかったかもしれません。
ましてや正規の手続きをもって差し押さえられてしまった船を無条件で取り戻す算段は裁判で勝つ以上に難しいと思われます。本件、差し押さえられた後のフォローのニュースが少ないのは日本側も案外、不当だという強い主張をしにくいのかもしれません。中国との戦時徴用についてはすべて解決済みですが、本件があくまでも単体のビジネス問題として取り上げられたとすれば今後、同様のクレームが生じる可能性は生じてきます。
そういう意味で潜在的問題を持った企業は気を付けなくてはいけないでしょうし、商船三井のケースのように当時の会社を吸収合併した場合にその債権債務を存続会社が引き継ぐというビジネスリスクは改めて肝に銘じなくてはならないでしょう。
私も買収案件の際には株式売買契約とするのか、資産売買契約とするのか、まずはこの入口から検討しています。これは株式売買の場合には会社のお荷物もすべて丸抱えになるという見えないリスクを背負うことになるからでいわゆるデューデリジェンスのリストは膨大になる傾向があるということです。
逆に今回のケースは日本企業が海外などの企業の買収を進める中で見えないリスクがそこにあるという認識をするにはよいきっかけになったのかもしれません。
今日はこのぐらいにしておきましょう。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2014年4月23日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。