連載 GPIF改革の論点 1 GPIFに本当に必要なものは何か

小幡 績

GPIF改革が話題になっているが、多くの議論が誤っている。今後の政府案の土台となると思われる「有識者会合」の改革案は明らかな誤りだし、それを受けたさまざまな議論も多くのものが真の論点を外している。

有識者会合などの議論は、アセットアロケーションとガバナンスを変える、という二つの論点に集約されるが、この二つに関する中身も間違っているが、そもそもこの二つが焦点であるという考え方こそが根本的な誤りだ。

(このシリーズはGW中に毎日連載する予定です。)


アセットアロケーションとは、資金配分のことで、現在GPIFは約130兆円ある資産を60%を国内債券、13%を国内株式、12%が海外債券、12%が海外株式、残り5%がそのほかとなっている。これは出資者である国民に対して、事前にこのような方針で運用をしますよと示すため、投資方針の具体的な基本方針として決めているものである。これはGPIFに限らず、世界の公的年金、あらゆる運用機関に置いて一般的に行なわれている。個人が証券会社などで買う投資信託も基本的には同じ考え方で、どのような資産に投資を行なうかは、お金を託する預託者に対して情報開示して説明を行なう。
批判を受けているのは、ほとんどが日本国債である国内債券への配分が60%と非常に大きいことだ。日本国債の現在の利回りは0.6%程度で、GPIFの運用全体のリターンを低くとどめている理由であると同時に、今後、国債価格が下落した場合のリスクが非常に大きいという点が指摘され、いわばデメリットばかりでメリットのない運用になっているという批判である。批判している人々は、これをハイリスクローリターンと称しているが、これは解釈の分かれるところだ。過去20年間の投資としては、日本国債に投資しておくのが最も高いリターンを生み出したことになるので、ハイリターンであったし、価格変動リスクも株式よりは小さく、またデフォルトは起きなかったので、元本が守られたという意味では最も安全な資産であった。
つまり、議論はここからして間違っており、日本国債に投資していることが問題なのではない。真の問題は、60%という配分割合であって、日本国債に投資すること自体ではない。一つのカテゴリーに60%というのは明らかにバランスが悪いし、それが円建ての日本国債といういわば一つの商品に集中していることだ(正確には満期が分散しており、それは個別の金融商品としては全く別物であるのだが、カテゴリーとしてもう少し大きく考えれば、やはり一つ)。運用機関として、それも長期投資で大規模な資金を運用する場合の基本は、分散投資を行なうことである。それは様々なリスク要因を、分散投資することによって、一時的なショックの大きさを緩和することが目的である。
したがって、一つのカテゴリーに偏った配分をしている現在のアセットアロケーションは適切ではなく、変えたほうが良い。しかも、そのカテゴリーは日本国債という一つのリスクファクターに大きな影響を受ける金融商品の集まりであり、リスク分散という観点からは非常に悪い投資方針である。
では、なぜ、そんな日本国債に集中投資するような、バランスの悪いポートフォリオ(保有資産の構成)が生まれたのであろうか。
日本国債の本当のリスクは次回議論することにするが、この偏ったバランスを生み出した理由はGPIFにはない。アセットアロケーションの配分は、厚生労働大臣が決めることになっており、もちろん厚生労働大臣は個人的見解で決めるわけでなく、世論を呼んで決めるのである。その世論とは、国民が形成するものであり、その国民の議論を受けて、有識者と呼ばれる人々も意見を形成し、直接の国民の世論と、間接的に国民の雰囲気の影響を受けた有識者の意見を踏まえて、政治および政府がこれを決定するのである。もちろんテクニカルには、GPIFの運用委員会で検討することになっているが、これまでの経緯は、国民の意向を踏まえて、できる限りリスクをとらない運用を、という考え方の下に、それを国内債券並みのリスク、という言葉で表現し、さらに年金制度からの都合を踏まえて目標利回りが設定され、それにあわせてGPIFがベストを尽くした運用をしてきた(ことになっている)。
ここでベストが尽くされているかどうか、という議論に入る前に、そもそもその前の大前提を問う必要がある、というのが今日の議論の焦点だ。
つまり、年金の出資者である国民の意見が、株は危ない、元本保証、あるいは国債で安全にやってくれ、というものが年金運用の出発点であったから、このような資金配分になったのである。
そして、現在の日本国債偏重から日本株式へ資金を移せ、という意見が沸騰し、100%国債でもいいという意見が国民の半分(あるいはそれ以上、感覚的なものではあるが)あった2年前とは激変しているのは、国民のムードが変わったからである。
ムードで長期投資を考えることは問題外なのであるが、それ以前に重要なのは、GPIFの運用に関する最も重要な理念や姿勢は、国民の意見に大きく左右される、いや国民の意見で決まるのである。
したがって、これまでの運用に根本的な問題があったとすれば、それは、出資者である国民に問題があったのである。
そして、ガバナンスの問題と言うが、ガバナンスとは株主が経営者をコントロールするのが企業に対するガバナンスであり、コーポレートガバナンスと呼ばれるが、運用のガバナンスとは出資者の運用者に対するガバナンスであるから、ガバナンスの最重要ポイントは、出資者が優れた出資者であるかどうかにかかっているのである。日本における運用の最大の問題は、出資者である国民の金融市場や資産運用に対する理解、認識の問題であり、それを誘導する政治の歪の大きさの問題なのである。
したがって、アセットアロケーションとガバナンスが問題だとすれば、それは根本的に、国民の問題であり、まずここを議論しないことにはGPIFの改革は始まらないのである。

つまり、GPIF改革に本当に必要なものは、運用に関し優れた認識を持った国民であり、それを誘導する優れた政治なのである。