例の海難事故で、疑問に思っていることが2つばかりある。ひとつは、「船室に残るように」という余り前例のない非情放送がなぜ流されたか(安全マニュアルの適応ミス?)。もうひとつは、実に手際がいい操船スタッフの脱出劇や。
前の記事にツイートコメントをくれた ルーゼリア ~ミクのマスターがおっしゃるように、「ある程度救助の手引をして逃げるのと客をほったらかしにして真っ先に逃げる」ということをしておけば、船長が受ける後々の非難は確かに小さかったやろ。
この疑問、ワシにはある推測がある。以下の話は仮説や。あくまで仮説やで。事故が起こった時点で、船長と取り巻きは自分らが操船しているブツがどんなシロモノか、完全に理解しておったはずや。危険極まりない改造、頼りない制御システム、度重なるインシデンツ、気合い十分の過積載。
メディアに流れてる話が本当やとしたら、それらを全て知っている船長は、次に何がおこるか、自信をもって予想できたはずや。ならば、生き残るためには乗客の相手をしているヒマなどあらへんがな。
それどころか、「数少ない救命ボートに、元気な高校生が殺到してきたらマズイ」、と考えて……ここから先は書く気にならん。乗客を船室に残して、手下を連れてボートに向かう。自分が生き残ることだけを考えたら、確かに最善の行動やな。2014年度世界鬼畜大賞の資格は絶対にある。船尾に客室を増設するのはテールリスク、沈めばサンクコストなどと鬼畜ギャグを書き散らすぐらいでは、とても対抗できん。
「擁護すると言いながら、自家製の仮説(妄想?)まで展開して、鬼畜呼ばわり」と叱られそうやけど、ワシは船長を罵倒するだけで話を終わらせる気はない。
人が鬼畜になる原因の定番はイデオロギーと日常業務や。分かりやすい例は、熱心なナチス党員と真面目な収容所職員やな。ところが、純粋の利己主義で鬼畜に走るやつは意外にも少ない。善にも悪にも徹しきれんのが人間なんやろな。
少なくともワシ自身は、足手まといの何千人かを沈没船に残して逃げ切るほど、自分の腹が据わっているとは思えん。中途半端に救助を打ち切って逃げて一生後悔するか、救助に徹して逃げなかったことを後悔しながら死んでいくのかのいずれかやろ。それだけに、徹底した利己主義には、徹底した自己犠牲と同じぐらい魅力を感じる。ここんとこ、分かってもらえるかな。
社会の側は、こういう鬼畜じみた自我は非難どころか徹底的に無視する。震災の直後、「つなみてんでんこ」という言葉が一時期メディア上で流行した。「津波に襲われたら親兄弟でも放り出して、各自ひたすら逃げろ」、という地域に伝わる教えや。これが、日が経つにつれて姿を消していった。代わりに出てきよったのが、絆、絆、絆……絆。
日本人の公徳心や秩序が近隣諸国から賞賛されると、普段、中国人や朝鮮人の言うことなんぞ屁とも思ってない連中まで、喜んで引用したりする。こういう場で「つなみてんでんこ」は非常に具合が悪いがな。「つ・な・み・て・ん・で・ん・こ」滝川クリステルが世界に向かって口にして良い言葉では絶対にない。
高校時代に読んだ小峰元の青春小説『ディオゲネスは午前三時に笑う』に、戦時中の学徒出陣の隊列について、主人公(70年代の高校生)の意見として「あの中には、戦争に疑問をもち、死にたくないと念じている学生が少なからずいたはずだ。……中略……(だれかが、隊列から離れる)一歩を踏み出せば、驚くほど多数のひとが後に続くにちがいない」というくだりがあったのを思い出した。
読後すぐ、戦争を経験したワシの親父にこの話をすると「そういう発想自体なかった」とか「そんなことをしたら、親族にまで類が及ぶ」と言われ、つい最近までワシもそんなもんやと思っておった。
ところが、アゴラで站谷幸一センセが紹介してはる「日本軍と日本兵 米軍報告書は語る」の中には、逃亡したり敵側に寝返ったりする日本兵が結構大勢いたという話が出てくる。出陣前の学徒兵と敗色濃厚な前線とでは状況がちがうとは言え、やるヤツはしっかりやっておったんや。ところが、こういう話は戦時中はもちろん戦後も、ほとんど表に出ては来ない。
社会を作っていく連中(やや悪い言い方をすれば国家権力)には、こういう「サバイバリズム」は恐怖の対象や。批判・処罰どころか、存在自体を無視しておきたいやろ。実際、あの船長のような人間が増えてきたら、どんな社会でも簡単に壊れる。平時には、おらんほうが良いタイプということは間違いない。
けれども、社会全体が暴走しておる時には、この手の人間が早めにシステムを壊したほうが、はるかに傷が軽くて済む場合が多い。日独伊三国同盟の中で、国民の中から裏切り者がワラワラ出てきてさっさと降参したイタリアが、一番、傷が浅かった。
地震や火事で、係員の指示を無視して我先に非常口に向かうヤツは危険な存在や。そやけど、たとえばあの事故で、何人かの高校生が船長の指示を無視して、自分だけ助かりたい一心で逃げ出していたら、同じ地獄絵でも、かなり状況が変わっていたと思う。
社会が行き詰まってくると、絆やら自己犠牲やらが全面に出てくる。ゲロが出るほどの善意。権力の同業他社としてのマスゴミ。左翼がマイナーチェンジした右翼。仕方ないと言えば仕方ないんやけどな……オエぇ~。ワシが極端で動物的な利己主義に魅力を感じるのは、こういう事を考えるからなのかもしれん。
奇を衒って韓国人船長を勝手にヒーローにしているだけのお前は基本的にアゴラのレベルに達していないとまで言われている(ランマ光太郎センセ、言えてるだけにキツいがな)。判断は読者と編集部にしてもらうしかしゃあない。そやけど、ワシとしては、こういう話はアゴラのレベルの場にしか書く気がせん。定番通り反応、予定通りの炎上は疲れるだけやからな。
今日はこれぐらいにしといたるわ。
帰ってきたサイエンティスト
山城 良雄