敢えてあの船長を擁護する --- 山城 良雄

アゴラ

今、世界で一番ボロクソに非難されている人間は、間違いなく例のフェリーの船長やろう。難所を通過するときに仮眠していたり、乗船客を船外に誘導するどころか妨害になるようなアナウンスを入れてみたり、沈没までまだ時間があるのにさっさと一般乗客に化けて逃げてみたり、とんでもない仕事ぶりは確かや。


けれど、報道を見ている限り、日韓両国とも一番の非難の理由は、どうやら殉職せんかったことやないやろうか。どうやらお隣の韓国も、日本と同じで「死ねば赦す」という文化なんやろか。

よく誤解されるが、「船長は船と運命を共にする」というのは、船長には乗客乗員全員の退避を確認するまで船に残る義務があるから、逃げ遅れて船と共に沈みやすいというだけのことや。船自体につきあって沈む必要はない。昔の、少年小説で乗員全員を救助船に乗せた後、沈みかけた船に一人で戻る船長の話がよく出ていたが、あれは、完全なウソや。

もうすこし話をつきつめてみて、逃げ遅れた乗客がいる場合、船長は殉職する義務があるんやろうか。ワシは絶対にないと思う。緊急避難なんぞという議論をする前に、人間が他人に死の義務を課すことはあってはならないと思う。まず自分が生きるというのが人間以前に動物の本質や。

大戦中、特攻隊の最盛期は日本の敗色が濃厚になってからやった。命の値段にもデフレがある。なんらかの殉職があったとき、その「費用対効果」を冷静に判断する目をもって、「本当に死ぬ必要があったのか」と検証しておかないと、感情論による殉職のための殉職がエスカレートすることになる。

命のやりとりを目前にしたとき、冷静な議論が極端にできなくなるのが、われわれ日本人に多い欠点のように思うが、どうやら、韓国人のほうがさらにウワ手のようやな。

ワシ個人としては、自分の命を預けるなら「最後の最後には乗客を見捨てて脱出するタイプの機長や船長」がええと思う。「何がなんでも、最後は自分が生き残ってやる」という獣のような強い心、生への執着の持ち主であってほしい。この持論を確認する出来事が先日あった。

4月28日、那覇空港でちょっとしたインシデント騒ぎがあった、ある旅客機が、着陸時の降下が早すぎて、滑走路手前の海に突っ込みかけたという話や。本来のコースより4キロ手前である、那覇空港から10キロの地点(高度300メートル)で、降下をはじめ、7.4キロの地点(高度102メートル)で墜落警報装置が作動して、あわてて急上昇というものや。

高度100mと言えば、高層ビルどころか20数階の普通のマンションの最上階の高さや。こんな低空まで降りてきて、本来おるはずの場所からは、はっきりと見えるはずの、ど派手な誘導灯も、那覇港の灯台群も、すぐ左手にある長大な防波堤も、何も見えなかったら何かおかしいと思うはずや。警報が鳴る前に引き返せや。

天候は雨やったが、雨量わずか1.5mmで東京タワーの低い方の展望台から山手線の線路が全く見えない、てなことがあるんとは思えん。パイロットが二人して惚けてたしか考えられんがな。海に突っ込めば真っ先に死ぬのに、ボォ~っとしておれるのは、生への執着が極端に弱いと言うことになるのとちゃうかな。

今から32年前、旅客機で羽田沖に突っ込んだ機長がいた。統合失調症らしいということやが、生への執着が強かったら、こういう狂い方はせんやろ。そして、今年また最新式の旅客機がマレーシアで消え、機長の自殺がとりざたされている。

自分の命が惜しくない人間に、他人の命を大事にできるわけがないがな。少なくともわしは、潔癖で自殺願望のある機長よりは、たとえ利己的で無責任でも「自分の命が惜しい」機長の飛行機に乗りたい。

今日はこれぐらいにしといたるわ。

帰ってきたサイエンティスト
山城 良雄