学生時代に勉強が出来て、優秀な人だからといって、社会人になって成功するとは限りません。学校教育と社会に出てからの能力との相関は、一定以上の教育を受けた人であれば、あまりないように思うのです。
私の世代では、東大の卒業生なんかより、「勉強ができない」他の大学の卒業生の方が、起業で成功したり、ベンチャー企業で活躍したりしている。こうなってくると、日本の教育制度の中で、暗い青春を送って頑張って成果を上げることが、一体何の役に立つのかわからなくなってきます。
「勉強のできる」東大生は、なぜ社会に出てその能力を成果に結び付けられないのでしょうか?
その理由の1つは、「答えを求めること」です。
勉強のできる人とはパターン思考から答えを見つけることには強いけど、答えが無いものに対応する力が弱いのです。テストの問題のように、解答のやり方が決まっていて、1つの答えが導きだせることは、現実の世界ではあまりありません。過去のパターン分析では解決できない課題をクリアした時に、新しい事業の価値が生まれます。未知の問題を解決する能力が無ければ、ルーティンの仕事しかできません。
また「失敗を恐れ、リスクを取らない」のも能力が発揮できない原因です。
誰にも失敗しなくないという気持ちはありますが、プライドの高い人ほど自分の失敗を認めたくないのです。成功を手に入れるためには、チャレンジしなければなりません。しかし、チャレンジすると必ず失敗が付いてきます。失敗したくない人はチャレンジしない人になってしまいますから、成功を手に入れることもできないのです。
そして3つ目の原因は「コミュニケーション能力が低い」ことです。
ビジネスを円滑に進めるには、相手のニーズをくみ取り、それに対応することが原則になります。相手が何を考え、何を求めているかを知るにはコミュニケーション能力が必要です。相手のことよりも自分のことを優先してしまうような人は、仕事で成果をあげられないのです。自信過剰で上から目線の人が、仕事で成果を上げられないのは、コミュニケーション能力の問題なのです。
もしかしたら、今の東大生は昔と変わっているのかもしれませんし、私の周りにいた人だけが、例外的で特別変わった人だったのかもしれません。
しかし、東大に限らず思うことは、学校で勉強ができることと、社会で成功することは、別の能力ではないかということです。
学歴というのは、その人が「勉強ができた」ことを示したり、同じ学校のネットワークを活用する際に役に立つこともありますが、それ以上のものではありません。
世界の大学ランキングでは、トップ100に入っているのは東大(23位)と京大(52位)だけ。グローバルな世の中なれば、日本の教育システムの中で、頑張ることの価値はさらに低下していきます。
社会で成功することだけが、教育の目的とは言いません。しかし、資本主義社会で生き抜いていく力を身に付けなければ、思い通りの豊かな人生を送れないのも現実です。これから教育を受ける日本の子供たち。どんな教育を受けるのかは、大きな問題だと思います。
編集部より:このブログは「内藤忍の公式ブログ」2014年5月12日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は内藤忍の公式ブログをご覧ください。