ビットコインと法の支配

大石 哲之

ビットコインの仕組みというのは、究極の法の支配である。

ビットコインはプロトコルによって自動的に動いており、そこに人間の恣意的な意図が介在する余地がない。不正は出来ないし、採掘量は決められており、ブロック生成者に与えられて、これも権力によって捻じ曲げたりもできない。

中心にあるのは、ビットコインユーザー(マイナー)たちの、ビットコインにかんする取り決めであり、契約である。その周りを、人間が囲んでいる。悪事を働く人がいても、この契約に違反してればビットコインの世界では何も起こすことができない。ビットコインは性悪説だというが、相手を信頼する必要がなくても、契約に照らしあわせて、そのルールを守る人々だけがネットワークを構成すれば、結果として、取引が成り立つ。この仕組の中心にあるのはあくまで契約であり、人間ではない。

こういう仕組みを、Distributed Autonomous Organization (自律分散組織)と呼ぶが、ビットコインそのものは、そのDAOの実証的なモデルだ。

非人格的な「契約」を中心におく考え方は「法の支配」に通じる。権力ではなく、法という非人格的なものによって、権力を縛るという考え方が法の支配である。英米法がこれである。

 

一方で、人間による組織を考えてみよう。中央には人間が居る。権力をもった人間がおり、それが周辺の人間を動かす。この形態の場合は、権力が一箇所に集中する一方で、その権力を監視したり統制するシステムがないから、その権力が「善人」であることを期待するしかない。

しかしその期待はいつも裏切られ、権力が善人出なかった場合は多大なミスディレクションが起きる。そして、そのような善人を生み出し続けるシステムというのも我々は知らない。善人のリーダーによる「徳治」は小規模の組織ではよいかもしれないが、大規模な国家レベルでは難しい。1億人の国民をもつ行政機関を動かすだけで、何万人もの徳にすぐれたリーダーを新任しなくてはいけない。我々は、それに失敗し続けている。

近代国家が難しくなっているのは、法の支配の危機があるという指摘もある[1]。日本や中国にはそもそも法の支配はなく、米国では、ロビイストによって形骸化の危機に瀕している。近代の国家では、あくまで人間をとおして法の支配を実現するので、そこには善意と権力を信任するしかない。

ビットコインそのものような、契約にもとづいて自動的に回るような仕組や、経済圏がうまれ、それがグローバルに発達すると、従来の徳治にもとづいた世界を超えていくだろう。

いずれテクノロジーによる法の支配の担保を活かすことのできた組織やでてきて、グローバル規模で他のシステムを駆逐するだろう。

法の支配をテクノロジーにより担保するという考え方は、日本では異端だろう。日本では、改革の方向性として法の支配を強化するという方向は聞いたことがなく、より「徳」のある人がより権力を振るえるようにして徳の発揮を期待しているように思える。

 

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