記事の見出しは「『元慰安婦 初の証言』記事に事実のねじ曲げない」となっているが、これは二つのことを暗示している。
- 1991年8月11日の「初の証言」の記事は捏造ではない
- 1992年1月11日の宮沢訪韓前の記事には捏造の疑いがある
まず8月の記事についてみると、検証記事はこう書いている。
取材の経緯について、植村氏は「挺対協から元慰安婦の証言のことを聞いた当時のソウル支局長からの連絡で韓国に向かった。義母からの情報提供はなかった」と話す。元慰安婦はその後、裁判の原告となるため梁氏が幹部を務める遺族会のメンバーとなったが、植村氏は「戦後補償問題の取材を続けており、元慰安婦の取材もその一つ。義母らを利する目的で報道をしたことはない」と説明する。
植村氏は8月の記事で韓国メディアより早く「国際的スクープ」を出したが、それは義母(慰安婦訴訟の支援団体の幹部)からの情報だといわれている。彼はそれを否定しているが、「ソウル支局長からの連絡」というのは不自然だ。一刻を争うスクープなのだから、ソウル支局が取材して報道するのが普通だ。なぜ大阪社会部に連絡したのだろうか。当時のソウル支局長から、裏は取ったのだろうか。
8月11日の記事で「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』」などと記したことをめぐり、キーセンとして人身売買されたことを意図的に記事では触れず、挺身隊として国家によって強制連行されたかのように書いた――との批判がある。
91年8月の記事でキーセンに触れなかった理由について、植村氏は「証言テープ中で金さんがキーセン学校について語るのを聞いていない」と話し、「そのことは知らなかった。意図的に触れなかったわけではない」と説明する。その後の各紙の報道などで把握したという。
これもおかしい。植村氏と同じ91年8月にNHKも「ニュース21」で金学順のインタビューを放送したが、そのとき彼女は「キーセンに売られ、養父に連れられて慰安所に行った」と話した。植村氏だけに「女子挺身隊の名で戦場に連行され」と話したとは考えられないので、これは「ねじ曲げ」の疑いが強い。さらにおかしいのは、次の点だ。
金さんは同年12月6日、日本政府を相手に提訴し、訴状の中でキーセン学校に通ったと記している。植村氏は、提訴後の91年12月25日朝刊5面(大阪本社版)の記事で、金さんが慰安婦となった経緯やその後の苦労などを詳しく伝えたが、「キーセン」のくだりには触れなかった。
植村氏は「キーセンだから慰安婦にされても仕方ないというわけではないと考えた」と説明。「そもそも金さんはだまされて慰安婦にされたと語っていた」といい、8月の記事でもそのことを書いた。
つまり1992年の記事のときには、キーセンに売られたと知っていたのに「強制連行」と書いたことを認めている。「だまされて慰安婦にされた」ことは強制連行とは別の問題である。だました主語は養父だから、日本政府とは無関係だ。
つまり朝日新聞は、植村氏の1992年の記事は「キーセンに売られた」という事実を隠して「挺身隊の名で強制連行された」と書いた捏造であることを認めているのだ。これが見出しの意味である。要するに、吉田清治も嘘、女子挺身隊も嘘、強制連行も嘘で、事実は単なる娼婦の話である。