最近、日本の学生の英語の底上げを図ろうという議論が結構あります。そんな中でも、入試をTOEFLにするとかは、割と注目されています。しかし、そんなのも結局、非効率な部分がありすぎると思いませんか?
まず、入試をTOEFLにするという発想が既に、かなり柔軟性に欠ける気がします。なぜなら、大学入試がTOEFLなのであれば、別に決まった日に入試を行う必要なんて全くないはずです。米国の大学に留学するのと同じ様に、願書を送る時までに学校が求める点数をクリアして置けば良いだけの事だと思います。
また、中学や高校の英語の先生が、どれだけTOEFLに対応出来る様な英語を教える事が出来るのでしょうか。以前に、文部科学省は、高校の英語教師の半数がTOEFLでpbtで550点を取れていないと発表しています。つまり、難関校であればpbtで550点以上を必要とされるはずなので、それを教える事が出来ない教師が半分もいるという事になります。結局、TOEFLで高得点を取りたかったら、生徒は自分で民間の教育機関に通うなどして学習する必要があるのです。言い換えれば、民間学校に通う生徒は、別に学校で英語の授業なんて行う必要なんか全くない事になります。
そこで、私はいっその事、学校で英語を教えるのをいっさい止めたらいいと思うのです。なぜなら、学校の英語の授業の現状が、英語を教える能力が十分で無い教師への公共事業としか言えないと思うからです。
文部省が学生にバウチャーを配って、生徒は各自で自分の好きな民間の英語学校で学べばいいんじゃないでしょうか。民間の学校には、TOEFLなどの本格的な英語を教えられる先生も沢山います。それに、先生の優劣が割とハッキリしますので、教え方に競争が出て教師のレベルも上がっていくはずです。このバウチャー方式では、普通の学校の英語の先生の様に、一度資格を取れば一生安泰ではいられず、熱意や実力の無い先生には生徒が集まらなくなってしまうでしょう。また、民間学校はネットなどを活用して、普通の学校では実現出来ない様な便利な学習ソフトなどを駆使した効率の良い勉強法なども次々と開発していくはずです。
こうやって、日本人の英語力の底上げを考える時、学校だとか、大学とか、そういう関係ありそうで関係なさそうな事ありきで考えるのではなく、本当に効果のありそうな事だけを考えて欲しいものです。しかし、現在学校で英語を教えている英語教師の既得権益がある以上、そうシンプルには考えられないというのが現実だと思うので、非常に歯がゆい気持ちです。
渡辺 龍太
WORLD REVIEW編集長
主にジャーナリスト・ラジオMCなどを行なっている
著書「思わず人に言いたくなる伝染病の話(長崎出版)」
連絡先:ryota7974アットマークgmail.com
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編集部より:この記事は渡辺龍太氏のブログ「ネットメディアプロデューサー 渡辺龍太のブログ」2014年8月15日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方はネットメディアプロデューサー 渡辺龍太のブログをご覧ください。