若者よ、汗をかこう --- 岡本 裕明

アゴラ

「若者よ、汗をかこう」というタイトルからしてオジサンぽいと思われるのですが、日本は三連休中でもありますのでそのオジサンのつぶやきでも書いてみたいと思います。

まず、このタイトルの意味が分からない、と言われそうですので平易に背景を説明します。


今のオジサン、オバサンが育った年代には今のような便利な生活はありませんでした。それでも高度成長期を享受し、日々、生活の質は向上していきましたが、革命ともいえるコンピューターや通信のITはその言葉すらありませんでした。コミュニケーションは電話、寄り合い、会議、井戸端談義、更には手紙も普通でした。偉いおじさん達はゴルフ場や神楽坂で仕事の話5分、遊び数時間という世界のありました。

勉強は図書館、探し物は一日がかり。いまのようにググっちゃうことは出来ませんでした。

モノも今ほどは普及しておらず、物流もこれほどスピーディーではありませんでした。欲しいものや部品を探すのにあちらこちらの電話帳ほどのカタログをめくりながら手間暇をかけたわけです。そういえば電話帳というものもすっかりお見かけしなくなりました。

そのような時代に自分を磨き上げるには時間とパッションは果てしなく使い続けなくては到達できませんでした。昔の上司が私にこんなこと言うのです。「知恵がないものは汗をかけ!擦り切れた革靴の数で成績は決まる!」などと真顔で言われ、社員はハッパをかけられたものです。サラリーマンだけでなく、商店街の店主たちも実に泥臭い仕事をしていました。商店街の毎月の寄り合い、共通クーポン券、祭りに縁日、特売会などが次々と催されその日は道路はホコ天になり、バスもどこかに迂回するほどでありました。商店街の店主の家族は総出で手伝いました。

あれから30年、スマートなITの成功者たちはスリムにフィットしたジャケットにカラフルで押し出しの強いシャツを着てワイン片手のパーティーを好みます。話題はワインの銘柄にそれが取れた年。ゴージャスな東京の夜景を背に遅くまで続くそのパーティーは勝者の美酒とそれに憧れる取り巻きジュニア達の世界があります。「僕の本がまた出るから」「本屋で平積み!」、「増刷決定だよ」というのもこの世界の勝者の共通パタンでしょうか。

この違いの最大のポイントは「効率化」にあるかと思います。自分の時間を24時間以上に使う発想はアメリカのMBA卒業者から日本に移入され、凄まじいほどの普及を遂げました。効率化を助けたのがITであり、自己管理、業務管理、記憶から判断まですべて自動化、自分は何もしなくてもお金がザクザク入ってくる「仕組み」を作り上げ、多くの若者はそのフォロワーとなりました。

今、私の業務のやり方と比較すると実に面白いことに気がつきます。数多くの事業の中で業績面などから力を入れなくてはいけない事業に大体1-2か月間集中強化期間をしばしば設けています。例えば夏前のレンタカー事業、あるいは最近のカフェ事業や駐車場事業。私の集中強化とはあらゆる手段と知恵を絞りだし、皆で一気に殻を破ることを目指しています。つまり、階段をいっぺんに数段上がることでしょうか?

ここには効率化といったスマートな言葉はありません。泥臭い人間と人間のぶつかり合いの中で問題を根気強くひとつ、また一つと潰していくのです。まさに汗をかくとはこういうことで肉体的にへとへとになる迄集中して仕事をすることで成長をかけていきます。

この前近代的アプローチは若い人(あと海外の人にも)には理解されにくいかと思います。「社長が何でそんなことするの?」とよく言われます。クライアントや近所の人から「それも君がやるのかい?」と言われるのですが、そこには理由があります。パフォーマンスです。社長がやることで社員もついて行くる、社長が頑張っているからこの会社のサービスは大丈夫とクライアントが思うのです。つまり、戦前で一番に槍を持って走り出していくのです。

私は元上司の「知恵がないなら汗をかけ」をさらに磨きをかけて、「知恵も出して汗もかけ」を実践しようとしています。それはスリムなジャケットは腹が邪魔して着られないオジサン流のスタイルとも言えますが、いつの時代も楽して仕事ができることはない、という事だけは断言できます。

仕事は泥臭いもの、それを嫌がらずにこなすことであり、体裁が前に出てはいけないというのが私の流儀であります。

今日はこのぐらいにしておきましょう。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2014年9月15日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。