人生を豊かにするネットの新活用法

高橋 大樹


弱いつながり 検索ワードを探す旅

東浩紀さんの『弱いつながり』を読みました。安定した今の生活にも満足しているけど、人生をもっと豊かにできたら。そう考えている人の背中を優しく押してくれる本だと思います。人生をより充実させるために、著者はネットの使い方を少し変えてみようと提案しています。つまり、Facebookなどを既に関係の深い知り合いとの「強い絆をどんどん強くする」ためだけに使うのではなく、まだ関係の浅い知り合いや思いがけない出会いとの「弱い絆がランダムに発生する場に生まれ変わらせる」。そしてそれらの弱い絆のところへ、たまにはリアルであちこち「観光」しに行こうというのです。


著者の提案の背景には、「人間は環境の産物だ」という考え方があります。いつも同じルーティンを繰り返している人は「脳の回路」が固定されてしまい、特定の状況にたいする反応の仕方がほぼ決まっている。ここで著者は、私たちの生活に「自分の世界を拡げるノイズ」を定期的に忍び込ませることの必要性を説きます。たまにいつもと違う環境に身を置き、自分と弱くつながっているものに触れることで、「考えること、思いつくこと、欲望することそのものが変わる可能性に賭け」てみる。というのも、それが自分の「人生をかけがえのないもの」にし、かつ、現在の「強い絆をより強く」もしてくれると考えられるからです。

「観光なんてものごとの表層を撫でるだけだ」という否定的な意見にたいしては、著者はまず、観光に「過剰な期待をせず……クールに付き合うこと」を提案します。それと同時に、「表層を撫でるだけだろうとなんだろうと、どこかに「行く」というのは、それだけで決定的な経験を与えてくれることがある」と述べます。その根拠となるものは、「記号にならないものがこの世に存在する事実」です。

例えば、著者は学生のころにアウシュヴィッツを訪れて、言葉にならない「強烈ものを受け取った」といいます。これを読んで私は、東日本大震災で従姉妹を亡くした友人と一緒に南三陸町を訪れたときの強い印象や、メールだけのやりとりをしていた相手と実際に会ったときのギャップ、またYouTubeではあまり良いと思わなかったライブや舞台を実際に観に行ったときの衝撃などを思い出しました。「言葉の解釈は現前たる「モノ」には及ばない」と、私も最近そう感じます。

言葉にならないものが確かにあるこの世界と、言葉や記号だけでできたネット。ネットの強さを今後活かしていくための提案として、本書には主に以下の3点が書かれていると考えます。

  1. ネットの不完全さをひとりひとりが自覚すること
  2. ネットで言葉にならないものを言葉にする努力をすること
  3. ネットで弱いつながりの発生を促し、たまにリアルで訪問(観光)すること

第1点は、著者の次の言葉に要約されます。「記号を扱いつつも、記号にならないものがこの世界にあることへの畏れを忘れるな」。加えて、多くの人は「みな自分が書きたいと思うものしかネットに書かない」事実も忘れてはならないと著者はいいます。これは、ネットだけでものごとを結論してはいけないという慎重かつ謙虚な態度が不可欠であり、このルールをすべてのネット利用者が共有すべきで、また常に記号にならないものへの想像力が必要である、ということだと思います。

第2点は、ネットで「言葉にならないものを言葉にしようと努力すること」が大切で、また「言葉の世界をうまく回すためにはモノが必要だ」ということ。これは、ネットはリアルで伝えられるものを複製はできないが、ひとりひとりが努力することでそれに近づくことはできる、ということかもしれません。ここで言われる「言葉にならないもの」とは、おそらくひとがモノに触れたときに抱く「動物的な感情」のことです。著者がそれを重要視するのは、ひととひとは動物的な感情を共有すること(=「憐れみを感じる」こと)ではじめてわかりあえる(かもしれない)からだと思います。

ネットで動物的な感情を言葉に入れる方法は、まずモノや体験が大事であることの他はまだ私にはわかっていませんが、例えば伝えたい感情を抱いたときの具体的な状況を思い浮かべながら言葉をつむいだり、そのときの状況に関する記述を少し加えたりすることではないか、と考えます。現前たるモノや動物的な感情に「希望を託す」という点は、著者の韓国旅行の体験との関連で説明されていますが、「国民と国民は言葉を介してすれちがうことしかできないけれど、個人と個人は「憐れみ」で弱く繋がることができる」という一文が印象的でした。

第3点は、ネットを「弱い絆がランダムに発生する場に生まれ変わらせ」ようという提案です。その重要なポイントとして、「ウチとソト」を分け過ぎないことが強調されていると思いました。もちろん、ネットでは注意が必要で、見知らぬ人ともどんどんつながりましょうということではないですが、一度は会ったことがある、非常に親しい共通の友人があいだにいる、仕事や関心など多くの共通点がある、あるいはこれが一番大事かもしれませんが、上の第1と第2の条件を相手が満たしていると思える、といった人たちに対しては、ネットで弱いつながりを「あちこちに張り巡らすことで」面白くなるかもしれません。

さらにその弱いつながりを活かして、リアルでも「複数のコミュニティを適度な距離を保ちつつ渡り歩いてい」こうということだと解釈しました。また、実際に「観光」に行っているあいだは、ネットにおける強いつながりは「切断すべき」だというアドバイスもありました。というのも、「旅で肝心なのは、日常とは異なる環境に自分の身を置き、ふだんの自分では思いもつかないことをやってしまうこと」だからです。「人間関係を(必要以上に)大切にするな」という点は、異論もありそうですが、もし個人の世界を拡げたいのであれば重要だと思います。

著者が言う「弱いつながり」は、“自分と弱くかかわっている新しい経験全般”として解釈すれば、私生活と仕事の両方に幅広く応用できるアイデアだと思います。例えば、家族や友人の趣味を体験すること、知人の好きな場所に足を運ぶこと、自分と関心を共有していると思われる人の集まりに参加すること、またそうした人と一緒に仕事をすること、等々です。忙しい人が多いとは思いますが、身近なところから、少しずつ、焦らず気長に、試してみてはいかがでしょうか。忙しく消耗する状態から離れ、「ゆるやかに流れる時間のなかに身を置くために」こそ、日常に「弱いリアルを導入」することが必要であり、「新しいモノに出会い」、自分の持ち合わせの「言葉の環境をたえず更新」していけば、また「ネットの強みを活か」せるようになるかもしれません。

本書には他にも、「コピーになることを怖れてはなりません」、「偶然に身をゆだねる。そのことで情報の固定化を乗り越える」、「成功とか失敗とか考えない」、「人生はいちどきり……偶然の連鎖を肯定し、悔いなく生きよう」など、ここで紹介しきれない素敵な言葉やメッセージがたくさん散りばめられています。ぜひ多くの人に本書を読んでもらい、それぞれの解釈で著者の言葉やメッセージを楽しんで欲しいと思います。そして、ネットで弱いつながりをうまく張り巡らせながら、リアルでそれらに触れに行き、また強いつながりをさらに豊かにしてもらえるとうれしいです。

髙橋 大樹
twitter: @takahash_hiroki

以前の投稿:
社会人になるとき知っておきたい「分業」のこと
他者の「言葉」を不快に感じるとき

著作:
「暗黙的知識の利用と企業におけるリーダーシップ」 渡部直樹編著(2014)『企業の知識理論:組織・戦略の研究』中央経済社に所収