教会の新しい「視点」とは何か --- 長谷川 良

アゴラ

ローマ・カトリック教会のローマ法王、フランシスコ法王は10月5日、特別シノドス(世界司教会議)を招集する。19日まで続くシノドスでは「福音宣教からみた家庭司牧の挑戦」という標語で世界の司教会議議長、高位聖職者、専門家、学者らが参加し、家庭問題を主要テーマとして話し合う。

それに先立ち、オーストリアのローマ・カトリック教会最高指導者シェーンボルン枢機卿は9月29日、ウィーンの記者会見でシノドスの見通しについて、「教会の教えを新しい視点から見つめ直すことになるかもしれないが、教会の教えが新しくなるということは絶対にない」と説明している。同枢機卿はシノドス準備評議会メンバーの一人だ。


同枢機卿の発言を少し説明する。シノドスでは離婚・再婚者へ聖体拝領を認めるかどうかで激しい議論が予想されているが、「離婚・再婚者への聖体拝領を認める一方、神が結んだ婚姻は本来、解消できない、という教会の教えは何も変わらないだろう」といった黄金色の妥協で決着がつくと見ているわけだ。

シェーンボルン枢機卿は「教会の歴史でイエスの教えが変えられたことはない。今回の離婚・再婚者への聖体拝領の是非問題についても、時代に適応した“新しい視点”から現実的に対応されていく一方、婚姻は絶対解消されない、という教会の教えには手を付けられないだろう」というわけだ。

論理的に考えると、「教会で結婚した者は離婚してはならない。神が結び合わせた婚姻だからだ」と主張する一方、離婚し、再婚した信者に対しても聖体拝領を許すということは明らかに矛盾している。それに対し、シェーンボルン枢機卿は「イエスは婚姻を解消してはならないといわれる一方、何らかの理由から離婚・再婚した者に対しては、今後は罪を繰り返してはならないと諭し、神の愛を与えている。イエスのもとでは何も矛盾していないのだ」という。

ところで、新たな問題も生じる。現実に対応することに腐心する余り、時間の経過とともに教会の教えが形骸化する危険性が出てくるからだ。「離婚はダメ」と信者たちに諭す一方、離婚者・再婚者に対しては「今後は罪を犯さないように」という条件付きで聖体拝領を認めた場合、信者たちの中には間違った受け取り方をする者も出てくるかもしれない。

離婚者の中には一度だけではなく、数回離婚している信者もいる。再・再離婚者の場合、聖体拝領はどうするのか、といった新たな問題が生まれてくる。21世紀の欧米社会は2組に1組の夫婦が離婚する離婚社会なのだ。

また、ローマ・カトリック教会内で離婚・再婚者への聖体拝領には強く反対している保守派聖職者がいる。バチカン教理省のミューラー長官もその一人だ。シノドスで「教会の教えはキープする一方、時代の要望に対応するため新しい視点で教えを解釈する」と決められた場合、保守派聖職者から強い反発が予想される(「法王の狙いは神の祝福の大衆化?」2014年9月23日参考)。

来年10月には通常シノドスが開催される。カトリック教会はそれまで協議を重ね、結論を下さなければならない。“新しい視点”で神の教えを解釈できない場合、バチカンは「現実」を重視するか、教会の教えを重視するかの選択を強いられることになる。それはバチカンがどうしても避けたい最悪のシナリオだろう。


編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2014年10月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。