「地方創生」を農業再生として描く危ういメディア

大西 宏

まるで「地方創生」は農業の立て直しのように描く番組が増えたような気がします。確かに、地方でなんらかの食品加工などで成功し、いわゆる零細な6次産業化が起こって、村おこし、町おこしにもつながった事例を取り上げることに意味が無いとは言いませんし、それはそれで健全な流れでしょうが、それは「地方創生」の本質だとはとうてい思えません。


まだ過疎化していなくとも、田舎に行くと、いまは農業と、小売業などの地元の生活を支える産業、役所、農協、学校、病院、昨今では老人ホームなどの公的な産業しかないというところでも、かつては中心地が人であふれるように栄えていたところが結構あります。農業以外に、そういった地域を支えていた産業があったからです。

その地方を支えていたのは、紡績や織布などの繊維産業であったり、鉱山だったり林業であったりします。その痕跡を残す遺跡、資料館などを訪れると、かつては、それらの産業のみならず、その周辺産業が数千人、数万人の雇用を生み出していたのです。世界文化遺産として登録された富岡製糸場もそのひとつでしょう。そして集積する機能をもった都市が存在していました。

産業にはライフサイクルがあります。しかも今日のようなグローバル経済が出現するのを待たずとも、貿易が盛んになり、国際競争力を失って衰退してしまった産業も多いのです。例えば兵庫県で天空の城として人気の高い竹田城の近くに生野鉱山跡がありますが、生野鉱山は、鉱石が枯渇したために閉山したのではなく、為替の変動で価格競争力を失って採算がとれなくなって廃坑に追いやられました。繊維産業しかり、林業しかりです。

あえて「創生」というのなら、まずは、地方の経済を支える産業を興していくことが本筋になってきます。家業や零細な産業ではなく、新しい国際競争力のある産業づくりです。生産性、競争力、規模が揃ってはじめて地方経済を支える産業を生み出せるかが焦点になってきます。

経済がサービス化してくると、決め手になってくるのは、知識、知恵、情報、また人材の集積度で、今日の経済を支えるのは都市力を高めるしかありません。各地方都市に、人と情報が集まり、国際競争力を持つことが重要になってきます。

高齢化を支えるためには、社会サービスの効率化を進める必要がでてきますが、高齢者が過疎地で暮らしていてがは極めて非効率、高コストになり、高齢者の都市への移住も必要になってきます。日経のコラム「大機小機」で指摘されているとおりだと思います。

農業や製造業を中心とする産業構造と異なり、今後の成長分野である金融や情報サービスは、集積の利点が大きい都市型産業である。高齢者層を最大の顧客とする医療・介護サービスも同様だ。

 高度成長期には地方から都市部への人口移動が経済全体の生産性を高め成長の源泉となった。今後の高齢化社会で、人々が分散して生活していては病院や介護のネットワークが間に合わない。むしろ医療や介護サービスが充実している都市部の高層住宅に、高齢者を誘導する必要がある。

「大機小機」日本は都市国家へ脱皮を:日本経済新聞

実際には、高齢者の都市中心部への移住はもうすでに起こってきている現象です。かつては郊外の新興住宅地に暮らしていた高齢者が、都市部に移住し、そういった住宅地に空き家が増えてきています。

もちろん観光産業で成功する、農水産業の6次産業化で成功するということも、地方再生にはプラスになってきますが、それは別に政府が関与しなくとも実際に起こってきていることです。政府の役割は、「地方創生」の本丸である「地方都市の新産業創生」であるはずです。

経済や人口では、国家規模の大阪や愛知ですら、都市競争力が衰退してきた原因に迫らなければ、地方創生は、バラマキと地方議員の票集めに終わりかねないと危惧します。たとえばバイオ研究都市をつくり、そこに創薬のシリコンバレーをつくりたいのなら、厚生労働省の一部を移転させるぐらいの案に期待したいところです。