原発の最大の問題は立地条件だ。原発を全廃すれば、日本経済は大きな打撃を受け、これが庶民の生活も直撃する事は目に見えているが、もし自分の住んでいるところに原発が施設されると言われれば、地元住民は反対するのが当然だろう。いくら安全性が強調されても、周辺住民としては少しでもリスクは減らしたいからだ。
そして、これが新しい「使用済核燃料の処理場」となれば、地元住民に納得してもらえる可能性は更に少なくなるだろう。「何故そこでなければならないのか」という説明が更に難しくなるからだ。
これは防衛問題でも同じことだ。日本が独立を保ち、公正な経済活動を保証される為には、現状では「この地域における米軍のプレゼンスの維持」に相当依存せねばならないのは事実であっても、沖縄県民は「自分たちが住んでいるところに米軍の基地が集中している」という事実を容易には受け入れる事が出来ないだろう。
この事は沖縄だけではない。防衛庁は新しいミサイル迎撃システムを日本海沿岸の数カ所に配備する事を最近決めたが、地元では「こういうものがあると有事の際に攻撃の対象にされる」として、反対する人たちも多いという。
これは最近問題になっているマタニティーハラスメントの問題にも当てはまる。ある会社で働き盛りの女性が妊娠した。労働時間を短くせねばならないということで、彼女はあまり重要ではない部署に配転になり、それと同時に給与の減額を伴う降格となった。この問題は法廷に持ち込まれ、裁判所はこの会社の措置を不当とする判決を下した。この判決には、法的には賛否両論があろうが、「少子化」と「女性の能力の活用」が国民的な議論の対象となっている現在、道義的又は心情的には、この判決に異を唱える人は少ないだろう。
しかし、厳しい経営を強いられている中小企業の経営者などには、釈然としない気持ちは残るだろう。ある評論家は「こういう事をしない会社ほど利益が出ている」と指摘しているが、その考えは甘い。「利益が出ている会社だったからこそ、そういう問題にも公正を期する余裕があっただけだ」と解釈するほうが現実に即していると思う。経営の厳しい中小企業の経営者にはとてもその余裕はない。考えてみると、これも「企業経営」という「個別利益」と「少子化対策」という「全体利益」が相克する一例とも言える。
こういった「個別利益を全体利益より優先して考える」姿勢を「自己本位だ」と言って非難するわけにはいかない。「リスクのある施設を排除したい地元の住民」や「中小企業の経営者」としては当然の言い分なのだから、「国家全体の利益」という観点からこれを押しつぶそうとするのはフェアではない。
「一人でも反対すれば橋は作らない」のではなく、「最大多数の最大幸福」を追求する事こそが民主国家の基本理念なのだが、だからと言って、その為に誰かに理不尽な犠牲を強いる事は正当化出来ない。
では、どうすればよいのか? これは簡単には答の出せない難しい問題だ。
先ず、原発の問題だが、第一には、「原発への過度の依存はやめて、数を減らす事」が真っ先に考えられなければならない。しかし、問題はどの程度まで許容するのかということだ。「経済破綻の回避」と「事故リスクの軽減」のどちらを優先させるかは、白か黒かの問題ではなく、バランスの問題だから、賛成派も反対派も、その計算根拠を詳細に示して議論すべきだ。
かつて経産省が原発依存度の適切なパーセンテージをベースにして幾つかの試案を出して大ブーイングを受けたが、当時は事故の直後で国民がパニック状態にあり、「原発全廃論」が主流だった故のブーイングであり、国民が落ち着きを取り戻した現時点では改めて議論されるべきと考える。
第二に、もっと議論されるべきは立地条件の再検証である。「活断層を避ける」というだけでなく、もっと多くのファクターが考慮に入れられてしかるべきだ。そして、第三には、予期せぬ災害に対する「万全の対策」だ。現状ではこの詳細についての説明が十分でないと私は強く感じている。
福島の場合は「電源喪失と冷却水供給システムの機能停止に機敏に対応できる体制が出来ていなかった事」が被害を大きくした最大の原因だと私は考えているが、「こういう事がもう二度と起こらないようにする万全の方策が既に確立されている」という保証は果たしてあるのだろうか?
そして、最後は、「個別利益」と「全体利益」のバランスを調整する「経済的補償制度」の完備だ。これには当然税金の投入が必要で、このコストも算入したものが「原発のコスト」と見なされるべきだ。
特に「使用済み核燃料の保存場所」については、何もせずに放置するという選択肢は全くなく(従って「原発ハンターイ」と叫んでいるだけでは何の解決にもならず)、既に「待ったなし」の状態なのだから、これについての予算は既に計上されていなければならないと思うのだが、その点はどうなのだろうか? 原発反対派はどういう具体案を持っているのだろうか?
「経済的補償制度」は防衛問題に関連しても必須の施策となる。
「沖縄県民の犠牲のもとに日本人全体の安全と利益が守られる」という事なら、日本の全国民から徴収された税金の一部がこの補償金に充当されるべきは勿論のことだ。沖縄は地理的に日本の安全保障の要となる場所に位置するので、他の地域をもっては代え難いという特殊事情があり、これが問題をより難しくしているのは間違いないが、「個別利益」と「全体利益」の相克を乗り越える為には、何らかの発想の転換が必要なのではないだろうか?
最後に例としてあげたマタニティーハラスメントの問題は、これこそが税金による「経済的補償制度」で解決しなければならない問題だと私は思う。「社会的責任に対する企業の自覚に委ねる」という言葉は美しいが、現実には生きるか死ぬかの瀬戸際で仕事をしている経営者も多いのだから、綺麗事を並べるだけでは結局女性の仕事の場を少なくしてしまいかねない。
企業側からみれば、妊娠・出産・育児に関連する負担の全てを企業が負わなければならないとなると、各企業は、初めから責任あるポジションへの女性の起用を逡巡する事になりかねない。私自身の経験でも、たった四人の社員だけでクアルコムの日本法人を立ち上げた時には、そのうちの二人が女性だった事から、彼女たちの妊娠出産が心配で、最初から重要なポジションに女性を起用したのを少し後悔したぐらいだった事を告白しなければならない。
さて、何を取ってみても必要なのは「税金の投入」だ。国民の付託に応えて、国が国らしく振舞おうとすれば、結局は頼りにできるのは税金しかない。何にでも国が関与してくる「大きな政府」は決して望ましいものではないが、最低限の事はやはり国がやらざるを得ない。とにかく税収を確保し、無駄遣いを根絶する為の施策が、あらゆる施策に先行して検討されねばならない事には疑いの余地がない。